神社検索

  • 神社を探す
  • 地図から探す
  • 市町村から探す
  • キーワードで探す



本文

ふるさとのお社探訪

九玉神社「唐(カラ)から船祭り」 -端午の節句に 唐の港坊津に 昔ながらの風が渡る-

☆九玉神社由緒☆

 

 南さつま市坊津町泊に鎮座する九玉神社は、島津相良守忠良公が勧進されたということであるが、その年月は詳らかではない。「三国名勝図会」(巻之二十六)に、「当社は、梅岳君、九玉七社を建玉へる一なりといふ」と記されている(「梅岳君」とは、忠良公すなわち日新公のこと。法名「梅岳常潤」ゆえにこのように申し上げる)。

また一説には、第九代藩主・島津忠国公の創建とするものもある。これは、同じ坊津町の久志・秋目の九玉神社が、ともに梅岳君の創建ではなく、忠国公の在世中に建立されたことが棟札等の記録により明らかなため九玉七社の一つという当社も同時代の建立とするところから出たようである。祭神は、猿田彦大神・事勝国勝長狭神(塩土翁)であり、事代主神、建御名方神、大山積神が合祀されている。

 

 

☆坊津と唐から船☆

 

1稚児行列.JPG その昔「唐の港」と呼ばれていた坊津は、日本三津の一つとうたわれるほど栄えた港町であった。歴史が変わると密貿易の拠点として、現在は漁業の町として移り変わってきた。このような歴史を持つ坊津では、五月節句がくると子供の父親や祖父は「唐から船」を作り与 えた。唐から船は、昔の貿易船をかたどったものと言われ、長さ約60㎝、幅20㎝、高さ65㎝ 程の車船に、母親が作った華やかな布で作った帆が立てられ、帆綱には「猿の子(さいのこ)」が綱をのぼるようにさがっている。子供たちは無心にこれを曳いたり競争して遊んでいた。この遊びは、町内全域に端午の節句の男の子の遊びとして古くから伝わり、戦前まで盛んに行われていた。

 

 

 

☆唐から船祭り☆

 

 昭和52年6月5日、月遅れの端午の節句に子供たちの健やかな成長と大漁・航海安全を願って祭りが行われた。いそなみ工芸社の故大山照雄氏が準備した唐から船十艘の新造船や各家庭にあった古い船を修理したものなど二十数艘を持ち寄り、九玉神社にお参りをした。境内で奉納踊りが行われた(この中の奴おどりは、戦後途絶えていたが、唐から船祭りを機に復活した)。就学前の子供たちが、ゆかた姿に紙カブトの昔ながらのいでたちで唐から船を夢中で曳いて楽しんだ。終戦後途絶えていた唐から船遊びを郷土の伝統風物詩として残そうとする篤志家と地域人たちの協力の元、「唐から祭り」が始まったのである。

 現在、唐から船祭りは、5月5日「子供の日」に行われている。午後2時泊自治公民館に集合、安全祈願のお祓いの後、午後2時30分祭り行列は出発する。唐から船を曳きながら歩く稚児行列、男子小・中学生達の曳く大唐から船、女子小・中学生や婦人達の踊り行列の順で九玉神社に向かう。神社到着後、稚児行列の清め祓いの神事があり、その後境内で奴踊り、タンパササッなどの踊りが奉納される。最後に子供たちの唐から船曳き競争で祭りは一番の盛り上がりに達する。引き続き泊浜に移動し、踊りと唐から船曳き競争を行う。祭りの締めのイベントとして、海に浮かぶ小型船2艘から浜に向かってもち投げが行われ、地域内外から訪れた観客の歓声が響きわたる。

2大唐から船.JPGのサムネール画像 3踊り行列.JPG 4奴おどり.JPG 

     大唐から船           踊り行列             奴おどり

5唐から船曳き競争.JPG 6泊浜唐から船曳き競争.JPG 7もち投げ.JPG

   唐から船曳き競争        泊浜唐から船曳き競争         もち投げ

 

 

 九玉神社の鎮座する坊津町泊地区は、過疎化が激しく少子・超高齢化が進み、年々子供の数は減る一方であるが、この唐から祭りは、地域一体となり子供たちの成長を祈り、地域を元気づける祭りになっている。

  (文責:九玉神社宮司 長井信篤、写真提供:馬場園信義)

 

参考文献:川辺地方内神社誌(昭和55年鹿児島県神社庁川辺支部発行)、

坊津町郷土誌(昭和47年坊津町発行)、

町報ぼうのつ第244号(昭和52年6月号坊津町発行)



目次

ふるさとのお社探訪

  • 伊勢神宮・神宮大麻
  • ふるさとのお社探訪
  • リンク集