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ふるさとのお社探訪

栖林神社「大的始式」

西之表市・栖林神社の「大的始式」

 西之表市榕城中目に御鎮座の栖林神社では、毎年1月11日に島内の悪魔災難を祓う「大的始め式」が盛大に斎行されます。

 

御由緒

 栖林神社は文久3年(1863年)松寿院(23代島主久道夫人)により19代島主久基(号は栖林)の甘藷栽培の偉業に感謝し、その功を後世に伝えんと本源寺の射場(今の市役所下、支庁長官舎の所)に栖林神社を創建した。その後、今の本源寺下の御拝塔の台地上に移転され現在に及んでいる。ここは眺望もよく参拝者も多い。

 さて、久基は国老や島主の座につく以前から藩主や父の名代として藩政や島政に尽くし、さすがに智の栖林とうたわれた程その敏腕さは縦横無尽多角的に振るわれていて、父にも勝る名島主であった。また、産業の振興を積極的に推進して初めて甘藷栽培を誘致した。

 すなわち琉球の事情を調査した際、甘藷が栽培容易で収穫多く、しかも美味と知り元禄11年(1698年)3月、中山王尚貞よりその一籠を得て、この栽培を家老西村時乗に西村はこれを西之表市下石寺の大瀬休左ヱ門に試植させ成功したのである。これより7年遅れの宝永2年(1705年)前田利右ヱ門も琉球より甘藷を得て、郷里山川に伝えている。その直後、享保の凶荒には他に比しその災害は僅少であった。それにより収穫時には久基を祀る栖林神社と大瀬休左ヱ門の墓前に甘藷を供え感謝することを忘れなかった。このことから栖林神社を別名“からいも神社”、“からいもの神様”と呼ぶようになった。

 

御祭神

 19代島主 種子島久基

 

大的始め式

 大的始めの由来は、明応9年(1500年)足利将軍弓場の師 小笠原備前守の高弟武田筑後守光長が12代島主忠時の招きで京都より来島家臣となり赤尾木城藩士に弓術を指したことに始まる。翌文亀元年(1501年)宮中の御的始式を伝えたのが起源で毎年1月11日に行われる。松明を焚き三鱗紋(種子島家家紋)陣幕を張り巡らした中で射手2人組3番6射をなし36本の矢で直径5尺8寸(約175センチメートル)の大的を射る。35本の矢が的中する時、満つれば欠けるの戒めにより最後の1本は故意にはずされる。本源寺、日典寺の温座祈念と同時に始められその年の悪魔災難等を祓い清め平安無病息災を祈願する行事である。

 

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大的始め式の設営・準備・祭典・進行など

 準備        大的の張り替え  半紙20枚程度

 弓場にて      数塚(砂山)、敷き砂、陣幕、弓掛け用の串木等

 大的までの距離   弓の杖 約33杖(約33間 約60メートル)

           現在は近的距離にて行われる。

 射手の装束     烏帽子、素袍、長袴を服し烏帽子の紐は高家 白紐 他家は緑色に分けられる。  

 射手の配置     2人を以って1例となす。3例に別けて第1は前を以って上と為し、第2は後ろを

           以って上と為し、第3は前を以って上為す。

 神  事      栖林神社拝殿にて神職、島主、弓太郎、弓次郎、高家、他家、師範役、矢取り役、

           総代、来賓を招き五穀豊穣、安全祈願の神事を行う。

 大的の祓い     大的の串木の辺りにて敷皮を折りたる上にひざまずき暮れ6つ(午後6時頃)の

           至るのを待つ。

           その間、神職は大的を祓い、矢道を切り麻で祓いながら進む、その後に師範役、

           総代と続く。

 

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 本源寺の暮れ6つの鐘の音と共に師範役より「本座に着かしゃれ」と高声にて上命が申し達せられ、この声に基き射手は弓太郎側、3番目、5番目、弓次郎側4番目、6番目の2隊に分かれ陣幕の下の座へ敷皮を敷き着座する。弓太郎は射手の総指揮に当たる。(各2射3回)36射約2時間を要する。

 火つけ役の手により篝火に火が入る。甲矢は送り矢と申し呼吸の続く限り「ヤァー」と高声にて発声する。乙矢を止矢と申し高声にて一殺必中の勢いで「エイ」と短く切る。

 高家より射を始める。

 矢取り役が矢帰しを行い篝火の中央を通り高家より先に矢を渡し、続いて他家に渡す。

 矢取り役は東家の童子が担当する。

    

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 第3回目の3番立ちの後立の射手に対して師範役より「はずまっしゃれ」と高声にて声がかかる。射手は止声の声は発せずして大的をはずし行射する。

 この場合35本すべて大的に当たり36本目に声がかかる。又途中外れた矢があった場合は「はずまっしゃれ」の声はかからない。

 

十(つづ)の衆    第1例前なるもの大的に6射すべて当たればこれを“十(つづ)という。師範役は

           射手衆の座に向かい「十の衆参らっしゃれ」と高声にて申し渡し十の衆の者は

           前後の順にて島主の前に行き神職より“駒一匹”と書いた賞を受け取る。

           的をはずした番立ちの後立の射手はこの場では賞はもらわない。

 

 大的始め式を相済ませ神社社務所大広間に着座、大的始め式保存会長、来賓の祝辞の後、

酒、鹿肉の御吸い物等で直会を行い後、退出、総べての式が終わる。

 

犬神仕置       島主第19代久基(栖林公)の父 久時の制定したものと思われる。 

           御条目の中に「犬神仕置」があり数塚(砂山)の面に「犬」の字を弓先で3回書く

           に至った大きな変化は国土安穏の障害たる凶悪な犬神を年頭において折伏しょう

           とするものである。   

           大的始め式は犬神退治を合わせて弓を通じ天地を祓いその年の天下泰平五穀豊穣を

           祈願する種子島家の最大の破魔行事である。

           当初、弓場は新城弓場より本源寺弓場、慈遠寺弓場に移り栖林神社の射場で行われる

           ようになる。

平成4年3月     鹿児島県指定無形民俗文化財として鹿児島県教育委員会により指定される。



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