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ふるさとのお社探訪

飯倉神社「御田植え祭り」

1  飯 倉 神 社 由 緒

 当社は、中宮に玉依姫命、東宮に大綿津見命、西宮に食飯魂命(うがだまのみこと)を御祀りしております。創設は非常に古く、元明天皇和銅年間(708〜15)の創設とされております。その規模も極めて広大で多数の崇敬者を擁する大社であったと伝えられております。しかし、度々の災火のため、記録の多くを焼失しております。

 

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 創設当初は、現在の位置より南西約1キロの飯倉山に鎮座していたと伝えられております。

 祭神玉依姫命は、知覧町に鎮座します豊玉姫神社豊玉姫命の妹宮であると共に、大綿津見命の姫宮であります。最古は、今の開聞岳一帯にあらせましたが、御姉妹宮、川辺・知覧に向われ、知覧の取違で御泊りになった際、早朝、先に妹宮が川辺に向かわれたため、遂に姉宮は知覧に、妹宮は川辺に鎮座されたと伝えられております。

 鳥居前の駐車場の南隅私有地に、長さ一間幅三尺位の御陵石と云う石があります。附近の畏敬浅からず、昔は敷地も広大であったと伝えられております。今は僅かに数歩を余すに過ぎません。

 古は当町宮飯倉山に一社、加世田宮原に一社、日置郡阿多村に一社ありしを、寛政五年(1793)当社に合祀し、飯倉新宮三所大明神と社号を改め、現在の所に遷座したと伝えられております。

 古は神領千石との伝説があります。元和(1615〜24)以前に神領高五百石あったものを取り上げられたと伝えられ、当時の蔵の跡と申す場所三ケ所あり、平山の大倉前、小倉前、宮の、蔵屋敷は其の跡と伝えられ、平山に蔵前、宮に蔵屋等の姓氏現存しております。

 なお当社の祭主は、世々、勝目家であったが、天正(1573〜92)の頃、勝目家に子孫がなく、高良長門に神主を仰せつけられ、その後高良家が世々神職を勤めて来ました。当社には多くの社家が付属していたらしく、元禄四年(1691)の社家人数改帳に見られます。祭事についての禊の場所は、宮の刈川であったと云われております。

 当社は昭和13年5月3日県社となりましたが、敗戦と共に廃止になり、多くの刀剣類が没収されてしまい数本の鞘だけが残されております。宝物に日新公御寄進の「垂落の鎌」「馬上盃」、近衛信輔公御寄進の「福寿花瓶」、島津家久公御寄進の「獅子香炉」「唐金鉢」、その他に銅鏡、棟板、神楽面等が残されております。また、県文化財指定の大楠も老朽が進み、補助棒を取り付けられながらも枝木は茂り、境内を覆っています。

※取違の由来 豊玉姫命、玉依姫命が知覧の取違部落を出発するとき、行き先を取違えたとの説もあります。

 

 

2 御 田 植 祭 り

 

 当神社は、毎年7月の第一日曜日に五穀豊穣を祈念して「御田植祭り」が行われております。(平成20年までは、旧暦の6月11日にあたる7月10日に行われていました。県内の他の神社の御田植祭りに比べてもかなり遅い時期になります。)

 祭は、午後2時から神社拝殿で神事が行われ、その後、市の無形民俗文化財に指定されている「棒踊り」を拝殿前で奉納。5人の歌い手による歌に合わせて、約4メートルの竹に五穀豊穣と書かれた札を掲げた「高シベ」をシベ突き役の3人が力強く地面にリズムよく打ち付けたのち、六尺棒を手にした12人の踊り手が棒を打ち合い勇壮に舞踊ります。

 そのあと天文3年(1534)の作成と伝わる面を付けた猿田彦を先導に、神職、太鼓、神饌、総代、早乙女、高シベ、踊り子、自治会役員、一般参列者と列を成し、道楽の太鼓を奏でながら約600メートル離れた御田(おんだ)に移動。御田(おんだ)では、榎の下での神事を行い御田(おんだ)を清めます。その後、先山の役に当った者が田を均します。(宮中福良自治会だけ人が牛に扮したユーモラスな牛が田に入り、田を均します。)

 

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 そののち揃いの衣装を身に着けた5人の早乙女が早苗を植えます。田植えが終わると、再び歌に合わせて、「高シベ」をシベ突き役の3人が力強く地面にリズムよく打ち付けたのち、「棒踊り」を奉納し、五穀豊穣を祈願します。(高シベを地面に打ち付けることによって土竜(もぐら)を追い払うとされています。)

 「棒踊り」が終わると、御供え物の大豆を炒った豆と、御神酒が一般の観衆にも振る舞われます。

 その後、再び猿田彦を先頭に神社に戻ります。天保15年(1844)寄進と刻された面を付けた翁が拝殿で種籾に模した切麻の入った(わら)筒を背負い、鍬を肩に担いで拝殿に現れ、豊作の口上を述べたのち、太鼓の音に合わせ、田起こしや田均し、種籾蒔き、田の管理、収穫の祝いといった稲作りの所作を表現した「田の神舞」が舞われて御祭りは終わります。

 

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 「宮の棒踊り」は、宮中福良、松崎、宮小路の3集落の自治会の踊りはそれぞれ異なり、戦場への出陣の場、戦場の場、帰還の場を踊りに表わしていると伝えられております。(踊り子が手にする六尺棒、太刀、小太刀と異なり、踊り子の人数も各集落それぞれ違います。)毎年、それぞれの集落が担い手となり、持ち回りで「棒踊り」を奉納しております。

 近年は、過疎化が進み、「棒踊り」の踊り手の人数の確保が困難で市外地に移り住んだ親族を呼び寄せるなど、人集めに苦慮しています。

 また、「田の神舞」も後継者が見つからず、宮司自ら「田の神舞」を舞っております。今後は、保存会を組織するなどして後継者育成に取り組んでまいります。



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