鹿児島神社町 KAGOSHIMA SHRINE AGENCY

参道の狛犬(こまいぬ)などについて教えて下さい。

狛犬

神社にお参りすると参道の両脇に一対で置かれた石製の狛犬を見かけます。神社境内のことを語るとき、鳥居(とりい)と並んでまず思い浮かぶほど、狛犬は神社にとって一般的なものとなっています。
普段、私たちは石製のものを多く目にしますが、このほかに、社殿内に置かれる木製や陶製のもの、また金属製のものなどがあります。狛犬は高麗犬の意味で、獅子とともに一対になって置かれているとする説もあり、その起源も名称が示すように渡来の信仰に基づくもので、邪気を祓(はら)う意味があるといわれています。
神社にあるのが一般的ですが、寺院でも稀に置かれることがあり、東大寺南大門のものが石製としては我が国最古のものとされています。また、宮中では几帳(きちょう)の裾に置く重石(おもし)として木製の狛犬を用いていたようです。
神社によっては狛犬ではなく、狐や牛などの場合もあります。狐は稲荷神社、牛は天満宮に見られ、共にお祀りされている神様の【1】神使(しんし・お使い)であるとされています。
狛犬の表情は神社、あるいは地域によって実に多様です。各地の神社を訪れた際に、いろいろな表情をした狛犬を眺めることもお参りをする楽しみの一つになるのではないでしょうか。

【1】神使:神様の使者という意味で、「かみのつかい」「つかわしめ」ともいい、普段はその神様と特別な関係のある鳥獣虫魚のこと。有名なものとして、稲荷の狐、春日の鹿、八幡の鳩などがあげられます。

神社新報社発行(神道いろは)より

神道(しんとう)について教えて下さい。

神道の起源はとても古く、日本の風土や日本人の生活習慣に基づき、自然に生じた神観念です。このためキリスト教のキリストのような開祖はいませんし、「聖書」のような教典もありませんが、『古事記』や『日本書紀』、『風土記』などにより、神道の在り方や神々のことを窺うことができます。
日本人の生活と深い関わりのある神道は当初から宗教や宗派として認識されていたわけではなく、仏教が大陸から伝来したのち、それまでの我が国独自の慣習や信仰が御祖神(みおやがみ)の御心に従う「かむながらの道(神道)」として意識されるようになりました。神社の創立の由来はとても古く、それぞれの土地や氏族の神話的な淵源に根ざしたものです。
日本人の民族性とも共通することですが、神道の特色の一つとして、外来の他宗教に対する寛容さを挙げることができます。神道は仏教や儒教・道教などとも習合し、中世から近世にかけてさまざまな思想的な展開が見られ、我が国の文化に大きな影響を及ぼしました。しかし、我が国独自の神観念は変らず、現在まで脈々と受け継がれています。
さて、我々が生活する地域の氏神様を含めて、神社は全国至るところにあり、八百万(やおよろず)の神といわれるほど多くの神々が森厳なる神社の境内の中にお鎮(しず)まりになられています。これは我々が生活を豊かに育んできた自然の中に神々の姿を感じ、畏敬の念をもって接してきたことによります。こうした自然との調和を大切にする神道は、より良い自然環境を次世代に継承させるという観点からも、今後更に重要となるのではないでしょうか。
また、神道の特色の一つとして神々を敬い祖先を大切にする(敬神崇祖・けいしんすうそ)といった考え方があります。これは神々が他の宗教のように隔絶された御存在ではなく、我々の御祖神として深い繋がりがあることを説いたものです。自らの御先祖も丁重にお祀(まつ)りすることにより、我々を見守って載ける神々としてお鎮まりになられるのです。

神社新報社発行(神道いろは)より

鳥居(とりい)について教えて下さい。

鳥居

私たちが神社にお参りをするとき、まず鳥居を目にします。鳥居は神社を表示し、また神社の神聖さを象徴する建造物ともいえます。鳥居は神社の内と外を分ける境に立てられ、鳥居の内は神様がお鎮まりになる御神域として尊ばれます。また、特定の神殿(本殿)を持たず、山など自然物を御神体、または【1】依代(よりしろ)としてお祀りしている神社の中には、その前に鳥居が立てられ、神様の御存在を現すものとして重視されています。
鳥居の起源については、【2】天照大御神(あまてらすおおみかみ)が天の岩屋にお隠れになった際に、八百万の神々が鶏を鳴かせましたが、このとき鶏が止まった木を鳥居の起源であるとする説や、外国からの渡来説などがあります。
鳥居は、その材質・構造も多種多様で、それぞれの神社により形態が異なります。一説には六十数種類の形態があるともいわれており、代表的なものとしては、鳥居上部の横柱が一直線になっている神明(しんめい)鳥居と、この横柱の両端が上向きに反っている明神(みょうじん)鳥居があります。このほか、形態では明神鳥居の横柱上部に合掌形の破風(はふ)のついた山王(さんのう)鳥居や、また朱塗りの稲荷鳥居など特徴的なものがあります。
起源や形態などさまざまではありますが、鳥居を見ると神聖さを感じるのは、我々日本人の共通した考え方ではないかと思います。

【1】依代:祭りにあたって神様をお招きする際に、その神霊が宿る所。依代には榊の木に御幣(ごへい)を付け神籬(ひもろぎ)や自然の岩石である磐境(いわさか)などがあり、山や樹木などの自然物に神々が宿るといった古くからの信仰の形を見ることができる。この他、御幣、柱、鏡、玉などや、祭りによっては人が依代となる場合もある。
【2】天照大御神:伊邪那岐命(いざなぎのみこと)より高天原の統治を任された神であり、皇室の祖神である。日の大神として仰がれ、伊勢の神宮をはじめ、全国の神明社などにお祀りされている。

神社新報社発行(神道いろは)より

「○○神宮」「○○神社」の名称について教えて下さい。

「神宮」「神社」の名称は、神社名に付される称号で社号といいます。
現在、単に「神宮」といえば、伊勢の神宮を示す正式名称として用いられています。また「○○神宮」の社号を付されている神社には、【1】皇祖(こうそ)をお祀りしている霧島神宮や鹿児島神宮、また天皇をお祀りしている平安神宮や明治神宮などがあります。このほか、石上(いそのかみ)神宮や鹿島神宮・香取神宮など特定の神社に限らています。
これに対して「神社」は、その略称である「社」とともに一般の神社に対する社号として広く用いられています。また、「宮」や「大社」などの社号もあり、「宮」は天皇や皇族をお祀りしている神社や由緒により古くから呼称として用いられている神社に使われます。「大社」はもともと、【2】天孫(てんそん)に国譲りをおこない、多大な功績をあげた【3】大国主命(おおくにぬしのみこと)を祀る出雲大社を示す社号として用いられてきました。しかし、現在「大社」は広く崇敬を集める神社でも使われています。
このほか、社号と異なりますが、古くから神様の名前に「大神」や「大明神」、また神仏習合の影響による「権現」といった称号を付して、社号に類するものとして一般的に用いられ、信仰されている社もあります。 このように神社により社号は異なりますが、それぞれの神社に対する人々の篤い信仰にはいささかの変わりもありません。

【1】皇祖:皇室の祖神である天照大御神のこと。または天照大御神より初代神武天皇までの代々を示す語としても用いられる。
【2】天孫:皇室の祖神である天照大御神の子孫のこと。特には天照大御神の孫である瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)のことをいうが、一般的にはその子孫である歴代天皇のことをいう。
【3】大国主命:酷薄な兄神たちに足蹴にされ、また、須佐之男命(すさのおのみこと)にさまざまな試練を課されるが克服。須佐之男命の娘、須世理毘売(すせりびめ)を妻とし、その助力を得て葦原中国(あしはらのなかつくに・日本)を開いた。

神社新報社発行(神道いろは)より

お賽銭について教えて下さい。

お賽銭の意味や起源には諸説があります。現在では神社にお参りすると、お賽銭箱に金銭でお供えしますが、このように金銭を供えることが一般的となったのは、そう古いことではありません。
もともと、御神前には海や山の幸が供えられました。その中でも特に米を白紙で巻いて包み「おひねり」としてお供えしました。
私たちは祖先の時代から豊かな自然に育まれ暮らし、秋になると米の稔りに感謝をして刈り入れた米を神様にお供えしました。こうした信仰にもとづき、米を「おひねり」としてお供えするようになったのです。しかし、貨幣の普及とともに米の代わりに、金銭も供えるようになりました。
そもそも米は、天照大御神がお授けになられた貴重なものとされ、人々はその大御恵(おおみめぐみ)を受け、豊かな生活を送ることができるよう祈ったのです。現在でも米をお供えする方もいますが、金銭をお供えすることも、この感謝の気持ちには変わりはありません。
お賽銭箱にお金を投げ入れるところをよく見ますが、お供物を投げてお供えすることには、土地の神様に対するお供えや、祓いの意味があるともいわれています。しかし、自らの真心の表現としてお供えすることなので、箱に投げ入れる際には丁重な作法を心掛けたいものです。

神社新報社発行(神道いろは)より

破魔矢(はまや)について教えて下さい。

破魔矢

お正月に神社に参拝した際、破魔矢を受けられる方は多いことかと思います。破魔矢は正月の期間中に社頭で領布されている授与品の一つで、その年の干支の絵馬が付いたものがあるなど、一年間お飾りする縁起物となっています。
破魔矢の由来は、元来、破魔弓と一式になったものであり、全国各地に見られる年占の際におこなわれた弓射を起源にするものともいわれています。これは各地区ごとに弓射を競い、勝った方がその年の豊作に恵まれるというもので、作物の豊凶を占うためにおこなわれてきました。
また、正月の男児の遊戯としても用いられていましたが、江戸時代以降、子供の成長の無事を祈る縁起物として、装飾を施した弓と矢が男児の初正月や初節句に贈られるようになりました(女児は羽子板)。その後、これが簡略化されて矢だけが魔除けとして、正月に神社で授けられるようになったと考えられます。
破魔矢はその名称の通り、魔を破り、災厄を祓う矢として信仰されています。建築の上棟祭の折にも、鬼門の方角である東北と裏鬼門の方角である西南の方向に向けて、屋上に二張の飾り弓矢を設けたり、鳴弦(めいげん)の儀と称して、神職が実際にこの方向に向けて弓の弦を打ち鳴らす所作を行うのもこうしたことに基づくものです。
しかし、破魔という字を当てたのは後世のことであり、本来「ハマ」とは弓射に用いた丸い的のことで、各地に濱井場(はまいば)という地名が残るのも初春に「ハマ」を射た場所であることを意味したものとする説などもあります(柳田国男「濱弓考」)。
さて破魔矢の飾り方についてですが、神棚や床の間など清浄な場所に飾って戴ければ問題ありません。矢先の方角についても上棟祭の場合のように特に決められた方向はないと思います。

神社新報社発行(神道いろは)より

氏神様と崇敬神社の違いについて教えて下さい。

全国の神社については、皇祖(こうそ)天照大御神(あまてらすおおみかみ)をお祀りする伊勢の神宮を別格の御存在として、このほかを氏神神社と崇敬神社の二つに大きく分けることができます。
氏神神社とは、自らが居住する地域の氏神様をお祀りする神社であり、この神社の鎮座する周辺の一定地域に居住する人々を氏子(うじこ)と称します。
元来は、文字通り氏姓を同じくする氏族の間で、自らの祖神(親神)や、氏族に縁の深い神様を氏神と称して祀ったことに由来し、この血縁的集団を氏子と呼んでいました。現在のような地縁的な関係を指しては、産土神(うぶすながみ)と産子(うぶこ)という呼称がありますが、地縁的関係についても、次第に氏神・氏子という呼び方が、混同して用いられるようになりました。
これに対して崇敬神社とは、こうした地縁や血縁的な関係以外で、個人の特別な信仰等により崇敬される神社をいい、こうした神社を信仰する方を崇敬者と呼びます。神社によっては、由緒や地勢的な問題などにより氏子を持たない場合もあり、こうした神社では、神社の維持や教化活動のため、崇敬会などといった組織が設けられています。
氏神神社と崇敬神社の違いとは、以上のようなことであり、一人の方が両者を共に信仰(崇敬)しても差し支えないわけです。

神社新報社発行(神道いろは)より

参拝の際に鳴らす鈴の意味について教えて下さい。

鈴

多くの神社には、拝殿の中央、ちょうど賽銭箱の真上あたりに、銅や真鍮(しんちゅう)製の大きな鈴が吊られており、この鈴に添えて麻縄や、紅白・五色の布などを垂らして、参拝者はこれを振り動かして鈴を鳴らし、お参りをします。
神社によっては神仏習合の影響により、鈴の代わりに鰐口(わにぐち)が設けられている場合もあります。
社頭に設けられた鈴は、その清々しい音色で参拝者を敬虔な気持ちにするとともに参拝者を祓い清め、神霊の発動を願うものと考えられています。
また、巫女が神楽舞を舞う際に用いる神楽鈴も、社頭の鈴と同様の意味によるものです。古くは巫女が神楽を舞うことにより神憑りして人々に神の意志を伝えており、このために必要なものとされていました。
今日では巫女による神楽舞が優雅な形に定められ、神憑りというより神慮を慰めるものとしての意味が強くなり、神楽舞の後に参拝者に対しておこなわれる鈴振り行事は、祓い清めの意味を有するものということができます。このほか、御守などの授与品に鈴が用いられるのは、魔除けや厄除け開運のためともいわれています。
【1】『古語拾遺』(こごしゅうい)には、天の岩屋(あまのいわや)にお隠れになられた天照大御神の心をひくために、天鈿女命(あめのうずめのみこと)が鈴を付けた矛を持って舞ったことが記され、宮中では天皇陛下が天照大御神を御親拝(ごしんぱい)なされる際に、女性で祭祀を司る内掌典(ないしょうてん)が、御鈴を鳴らして奉仕することがあるように、神事における鈴振りは今日まで重要な意味を持ってきました。
江戸時代の国学者である本居宣長(もとおりのりなが)は自らの号を「鈴屋(すずのや)」と称して、「鈴の屋とは、三十六の小鈴を、赤き緒にぬきたれて、柱などにかけおきて、物むつかしきおりおり引なして、それが音をきけば、ここちもすがすがしくおもほゆ、その鈴の歌はとこのべにわがかけて、いにしへしぬぶ鈴が音のさやさや」とその命名の意味を述べていますが、その美しき音色は神人共に和ませるものということができます。

【1】古語拾遺:大同2年(807)、忌部(斎部)氏に伝えられてきた古伝承を斎部広成(いんべのひろなり)の撰述により纏めた書物。『古事記』や『日本書紀』には記されていない神祇祭祀に関わる古伝承も載せられている。

神社新報社発行(神道いろは)より

「おみくじ」について教えて下さい。

おみくじ

神社に参拝した際に「おみくじ」を引き、運勢などを占われた方も多いかと思います。
一般的に「おみくじ」は、個人の運勢や吉凶を占うために用いられているわけですが、種類もいろいろとあり、神社ごとに工夫も窺うことができます。その内容には、大吉・吉・中吉・小吉・末吉・凶という吉凶判断、金運や恋愛、失(う)せ物、旅行、待ち人、健康など生活全般にわたる記述を見ることができます。また、生活の指針となる和歌などを載せているものもあります。
そもそも占いとは、物事の始めにあたって、まず御神慮を仰ぎ、これに基づいて懸命に事を遂行しようとする、ある種の信仰の表れともいえます。例えば、小正月などにその年の作柄や天候を占う【1】粥占神事(かゆうらしんじ)や、神社の祭事に奉仕する【2】頭屋(とうや)などの神役を選ぶ際に御神慮に適う者が選ばれるよう「くじ」を引いて決めることなど、古くから続けられてきました。「おみくじ」もこうした占いの一つといえます。
「おみくじ」は単に吉凶判断を目的として引くのではなく、その内容を今後の生活指針としていくことが何より大切なことといえます。また、神社境内の木の枝に結んで帰る習わしもありますが、持ち帰っても問題はなく、引いた「おみくじ」を充分に読み返し、自分自身の行動に照らし合わせてみたいものです。

【1】粥占神事:その年の吉凶を占う行事のひとつで、古く宮中でおこなわれていた「御粥神事」が民間に伝わったものといわれている。鍋や釜で粥といっしょに細い竹や茅などを煮て、管の中に入った粥の多少で占うもの、また柳などの枝で粥をかき回し、付着した米粒の量で占うものなど、いくつかの方法があり、筒粥神事・管粥神事などとも呼ばれています。
【2】頭屋:神社の祭りや行事の世話の当番となった家、またはその人のことで、「当屋」とも書き、神社に専業の神職がいなかった時代の形態を残しているものともいわれる。選任の方法には、くじ引きや占いによるもののほか、年齢順や家順に決められている場合もある。通常は一年交替で、その間にはさまざまな禁忌があったり、厳しい潔斎が求められている例もある。

神社新報社発行(神道いろは)より

絵馬について教えて下さい。

絵馬

私たちが神社に参拝したとき、祈願の内容を絵馬に記して奉納しますが、これはもともと、神々に本物の馬を供えていたことに由来することです。
古くは『常陸国風土記』、【1】『続日本記』(しょくにほんぎ)などに、祈雨止雨、そのほかの祈願のために生きた馬を献上していたことが見られ、当時から神々の乗り物として馬が奉納されていたことが分かります。
その後、この代用として馬像や、さらに簡略化された絵馬が奉納されるようになりました。
古今東西を問わず、馬は人々の生活に深い繋がりをもっており、我が国においても、輸送や農耕、軍用など、あらゆる面で大きな役割を果たしてきました。このことは馬に対する信仰とも結びつき、例えば平安時代に宮中でおこなわれた白馬節会(あおうまのせちえ)は、正月七日に天皇が白馬を御覧になるという行事ですが、白馬が聖なる【2】「陽」の動物なので、これを見ればその年の邪気を祓うことができると考えられたのです。その後、この行事は各神社においても除災招福の神事として執りおこなわれるようになりました。
こうした信仰は、神の乗り物として献上される馬とも関連することで、特に献上された馬を神馬(しんめ)と呼びました。後世、神輿が神々の乗り物として主に用いられるようになり、馬はお供するだけとなりました。
絵馬には本来、馬の絵が描かれましたが、時代や人々の願いとともに、馬以外の絵も描かれるようになりました。その内容は、祭礼の模様や干支、病気平癒や芸能上達の祈願を絵に現したものなどさまざまです。
今でも受験シーズンが近づくと、合格祈願の絵馬が多く奉納されるなど、絵馬は人々の祈りの形を現したものということができます。

【1】続日本記:『日本書紀』に続いて編纂された歴史書。文武天皇から桓武天皇までの歴史が記されている。延暦16年(797)に成立。
【2】「陽」の動物:十二支の動物を陰陽五行説に従い、陰・陽に配すると、「陽」の動物は子・寅・辰・午・申・戌、「陰」の動物は丑・卯・未・酉・亥となる。

神社新報社発行(神道いろは)より

金品をお供えするときの表書きの書き方について教えて下さい。

御神前に金銭や食物、お酒などをお供えする際に記す表書きには幾つかの書き方があり、「御神前」「御供」「玉串料」「御榊料」「初穂料」等の書き方が一般的です。「御神前」「御供」という表書きは説明するまでもありませんが、「玉串料」「御榊料」とは玉串や榊の代わりに、また「初穂料」とはその年に初めて収穫されたお米の代わりに、それぞれお供えする料であることを意味しています。
このほか「上」や「奉献」「奉納」と書かれる場合もあります。「上」はよく神様や目上の方に対する御礼の際の表書きに用いられる語です。
「上」はお神札(ふだ)・お守などの授与品や撤下神饌を入れる袋の表書きにも用いられていますが、この場合、撤下品は神前にお供えする際、「上」と記すのであって「上」とはあくまでもお供えをする神様に対して用いられている語ということができます。一方、お神札やお守が御神霊の御加護を戴く尊貴なものなので丁寧さを表現するために「上」を表書きにしていると考えることもできます。
このほか、神式の葬儀のお供えに関しては「御霊前」や「玉串料」「御榊料」といった表書きが用いられます。市販の不祝儀袋には「御霊前」とあっても、蓮の花の文様が付いている場合がありますが、これは仏式用のものなので注意して下さい。
表書きには、神事に用いられる以外にも冠婚葬祭を通じてさまざまな書き方があり、自らの気持ちを伝える意味でも大切なものということができます。

神社新報社発行(神道いろは)より

清め塩について教えて下さい。

清めに塩を用いることは、我が国の宗教的習俗であり、海水を意味する「潮」とも通じてさまざまな風習があります。古くは記紀神話に、黄泉の国(よみのくに)から戻った伊弉諾尊(いざなぎのみこと)が自らの体に付いた黄泉の国の穢(けがれ)を祓うため、海水で禊祓(みそぎはらい)をおこなったことが記されています。
このことが民間においては、「潮(塩)垢離」(しおごり)といって海水を浴びて身を清めたり、海水を沸した「塩湯」(えんとう)が、病気治療や無病息災のために用いられるといった風習に繋がってきました。これも塩が持っている優れた浄化力や殺菌力を知っていたためです。
現在、神社の祭りおけるお祓いでも、塩水でお清めをおこなう塩湯が用いられます、葬儀の際など、一般で塩が用いられるのも、こうした信仰に基づき、非日常と日常とをわける清めの行為を象徴的におこなったものといえます。
塩の力に祓いの願いを託すことは、祖先から受け継がれた英知なのです。

神社新報社発行(神道いろは)より