湯之尾神社

- 神社名:湯之尾神社
- 神社名カナ:ユノオジンジャ
- 鎮座地:〒895-2708 伊佐市菱刈川北2461・2462
- 例祭日:十一月二十三日
- 通称:御霊神社(ゴリョウジンジャ)
- 旧社格:郷社
- 神紋:
- 摂末社:3
- 社宝:御霊宮の額面(裏面に文明十一年の文字あり)
御祭神
- 鎌倉権五郎景正(カマクラゴンゴロウカゲマサ)
- 大物主神(オオモノヌシノカミ)
神事・芸能
十一月二十三日夜(三年に一度)~湯之尾神舞(県無形文化財) 一四九二年頃、湯之尾地区の人々が五穀豊穣、無病息災を祈願するために奉納したのが始まりといい、三十三番から成っていたが、現在保存会で奉納するのは二十四番である。
由緒
景正公は相模国鎌倉権頭景成の子で、桓武平家の流れをくんでおり、権五郎と号した。
神社の建立年代は不明であるが、明治二十二年境内整備の際に、文明五年と記した石碑を発掘。又、菱刈家十一代忠氏の鐘があり、それにも文明十一年とある。それらのことから勧請は文明年間と考えられる。
勧請に際し、御霊代を鎌倉より奉護し当地に着いたのは十二月二十九日年末の多忙な日であったので、里人は門松も立てず、年始の賀儀も七日になってようやく行った。従って、今も当地の人々は年頭には門松を立てないのを古式としている。明治三年六月湯之尾神社と改称した。
尚、御祭神が十六才で源義家の陸奥征伐に従い参戦した時、敵将鳥海弥三郎に眼を射られたが、矢を抜かぬまま七日間弥三郎を捜し求め、遂に彼を捕らえ射殺したという故事に因み、眼病に霊験があるとも言われている。
往古は菱刈城主の厚き崇敬を受け、菱刈郡四ヶ所の総社として崇められていたが、今は当邑のみの宗社となっている。例祭は旧規により盛大に行われ、浜下りの神事がある。
平成三年三月八日地主神社(旧村社、祭神大国主尊)を合祀した。