忠元神社
- 神社名:忠元神社
- 神社名カナ:タダモトジンジャ
- 鎮座地:〒895-2506 伊佐市大口原田1081
- 例祭日:四月三日 十月三日
- 通称:
- 旧社格:村社
- 神紋:丸十の重ね紋
- 摂末社:0
- 社宝:
御祭神
- 新納武蔵守忠元(ニイロムサシノカミタダモト)
神事・芸能
桜祭(四月、忠元公園は桜の名所として、市民の憩の場となる。)
由緒
江戸末期の天保年間に伊佐七ヶ郷は打続く凶作による貧困から脱出しようと、牛馬の導入、用水路・溜池の改修、土地改良、更に前代未聞の川内川下木場下流の開さく、米倉の新設と村起しの気運に燃えた。この精神的拠所として、大口の地頭で島津の名将・知将として親われた新納忠元の神社を創建しようと、藩に天保十三年申請、翌十四年に許可されたので、同十五年二月に忠元の廟所より勧請したものである。忠元社、忠元明神と称されたのち、安政六年忠元大明神と呼ばれた。
忠元公は、四代島津忠宗四男時久の庶流の系統で、義久、義弘、家久などに仕え、智謀衆に卓越し、大口の地頭に命ぜられてからは領民に善政を施し、領民は文武両道の高徳を慕ったという。