隈媛神社
- 神社名:隈媛神社
- 神社名カナ:クマヒメジンジャ
- 鎮座地:〒899-5241 姶良市加治木町木田4282
- 例祭日:九月十七日
- 通称:
- 旧社格:村社
- 神紋:
- 摂末社:
- 社宝:
御祭神
- 隈媛命(島津義弘公夫人)(クマヒメノミコト(シマヅヨシヒロコウフジン))
由緒
隈媛は人吉の領主相良義日公の息女であるが、義弘公が飯野城を守備していた頃(永禄十一年~天正十一年)、相良家と不和になり媛は離別された。媛は人吉には帰らず、自分のお化粧田であった山田村辺川に来られ、同地の観音渕と云う川中で、灯明を手に持ち腕の上で香を焚き乍ら十七日間難行苦行を続け、両家の和睦と自分の復縁を神仏に祈願されたが、その甲斐もなかったので、家来の松葉瀬杢左衛門の子供を出家させ自分の菩提を弔うように云い残し、渦巻く川中に投身死去された。
義弘公は媛を哀れに思い、その遺言通り杢左衛門の子を出家させ、光規坊と名乗らせた。後年光規坊は京都に派遣され、真言宗を修行して、天正十七年八月媛の御神号宝現大明神御璽を受けて帰った。
文禄十三年現在の宝現寺を開山して媛の菩提を弔うこととなったが、慶応四年の神仏分離令で隈媛神社と改められた。宝現寺歴代(二十九代まで)住職の墓は、東側の杉林の中に、開山権大僧都光規の大石塔と共に現存している。