宮浦宮
- 神社名:宮浦宮
- 神社名カナ:ミヤウラグウ
- 鎮座地:〒899-4501 霧島市福山町福山2437
- 例祭日:四月三日
- 通称:宮浦大明神(ミヤウラダイミョウジン)
- 旧社格:県社
- 神紋:
- 摂末社:
- 社宝:宗源勅旨 神位記 勅額
御祭神
- 神武天皇(ジンムテンノウ)
- 天神七代(テンシンシチダイ)
- 地神五代(チシンゴダイ)
神事・芸能
十一月二十三日~銀杏祭り 境内の夫婦銀杏は神武天皇が旅立たれた際、お手植えになったものに後世植え継いだとされ、右側の木には寛正三年の大火の火傷跡が、また左の木には西南戦争の砲弾痕が残っている。が、勢い未だ衰えず形・大きさともに類似し、しかも樹齢千年を越えているところから、昭和三十九年六月五日県の天然記念物に指定された。
由緒
醍醐天皇の御代、延長五年撰集の延喜式神名帳に所載の由緒ある古社である。
桃園天皇の御代、宝暦二年十二月十八日従二位神祇権大副卜部兼雄卿の昇階の事が天聴に達し、正一位の神階を授けられ、さらに勅許により御幣十三体を内陣に納め、「正一位宮浦大明神」の勅額を正面鳥居に掲げるところから、宮浦大明神と称される。
宗源勅旨の内容は、当社の御祭神の嫌いな事として、氏子が麻苧を作ること、正月二十五日(神武天皇の旅立たれた日であり、明治以前はこの日が例祭日であった)以前に機杼織ること、同日以前に灸をすることの三つがあって厳しいので、神位の昇叙により神慮の寛恕を得る事が記されている。
他に神武天皇に因み、「御駐蹕伝説地宮浦」と記した石碑や「腰掛石」と呼ばれる座椅子型の石があり、北方三キロ程の海岸に突出した若皇子鼻という地名は、かつてこの地を巡幸した神武天皇の若い時の御名・若御毛沼によるとの古伝がある。
社殿は寛政三年の大火で類焼し、当時の二十六代藩主斉宣公が再興したものといわれる。