止上神社

- 神社名:止上神社
- 神社名カナ:トガミジンジャ
- 鎮座地:〒899-4301 霧島市国分重久1896
- 例祭日:旧一月二十四日 七月二十日
- 通称:止上権現(トガミゴンゲン)
- 旧社格:郷社
- 神紋:十六菊
- 摂末社:7
- 社宝:神面五十五面(最古は明応六年の銘、内四十二面は国分市郷土館に陳列) 宝剣三振
御祭神
- 彦火々出見尊(ヒコホホデミノミコト)
- 豊玉姫命(トヨタマヒメノミコト)
- 瓊々杵尊(ニニギノミコト)
- 木花咲耶姫命(コノハナサクヤヒメノミコト)
- 葺不合尊(フキアエズノミコト)
- 玉依姫命(タマヨリヒメノミコト)
神事・芸能
田ノ神舞、剣舞、長刀舞、牛面
由緒
囎唹郡惣鎮守六社大権現と称され、祭神は六座、日向三代の神である。創建の年月は詳らかでないが、社記によれば、景行天皇の御宇日向の隼人が叛き天皇親から征伐された時、六所権現の霊神が大鷹となり擁護を加え、怱ち叛賊を平定されたため、その神霊を崇め祭ったという。往古は今の社殿の東方の尾牟礼という山の絶頂に鎮座され、その山を神体として山上を拝したが、その後今の地に社殿を造建神霊を勧請した。
尾牟礼山上に六箇の石祠があり、止上神鎮座の跡という。また中古まで王の御幸という祭式があって、毎年正月七日神輿を守り下って、同月二十二日に至るまで行廟(四ヶ所)にて種々の神供を献じ祭りを行った。此れは、隼人の霊魂が祟りをなし人民に害を及ぼしたため、当時御幸の式を設けその霊崇を鎮めた大祭である。慶長の中頃までは毎年執行されたが、その後廃されたという。当社の南西には、もう一つの隼人塚と称される森がある。
得仏公(島津忠久公)の時領内に七社と称する神社があり、当社はその第三の神社であった。第一は頴娃開聞社、第二水引新田宮、第三当社、第四国分鹿児島神社、第五霧島社、第六日州佐土原妻萬社、第七都城庄内稲荷社である。此の七社を、得仏公が毎年参詣されたという。