紫尾神社
- 神社名:紫尾神社
- 神社名カナ:シビジンジャ
- 鎮座地:〒895-2103 薩摩郡さつま町紫尾2164
- 例祭日:十月十九日
- 通称:紫尾権現(シビゴンゲン)
- 旧社格:県社
- 神紋:菊
- 摂末社:1
- 社宝:
御祭神
- 瓊々杵命(ニニギノミコト)
- 彦穂々出見尊(ヒコホホデミノミコト)
- 鵜葺草葺不合命(ウガヤフキアエズノミコト)
神事・芸能
十一月二十三日(新嘗祭)~郷土芸能七種が奉納される。幣踊、金山踊、棒踊、太鼓踊、新地節踊他。
由緒
往古は紫尾三所権現と称し、伊弉冉尊、事解男命、速玉男命三座を祀り、紀州熊野本宮に同じであった。八代孝元天皇の御代開山され紫尾山と号し、また二十六代継体天皇の御代、空覚上人が上宮より麓の地に紫雲のたなびく霊夢を見て精舎を建て、紫尾山権現と称した。上宮に対して下宮(あるいは柏原の古紫尾神社を下宮として中宮とも)と云う。承元年中、将軍実朝公が神鏡三面を奉納されたと伝える。三大実録に、貞観丙戌四月七日薩摩国正六位上紫尾神に従五位下を授くとある。
古くは幕府将軍の直接祀る神社であったが、後島津氏の祀るところとなり、天正年間には出水領主島津義虎公により神田八町歩が献ぜられ、十一月二十四日が祭日と定められた。義虎の子忠辰公も父の意を継いで神社神輿等に力を注いだことによって、貴賎を問わず多くの人々の崇敬を集めるようになり、さらには出水高尾野へも勧請が行なわれたと推察される。また山ヶ野、永野両金山を教え賜いし御神徳の高い神として、祁答院九ヶ郷の宗社として、毎年九月二十九日奉幣使が巡拝された。巡拝当日は、鉱山関係者を始め各地からの参拝者で賑ったと云う。紫尾山は、西国高野山とも称されて繁栄を極め、石童丸の逸話も残っており、其の頃の坊主石墓郡が名勝となっている。別当寺は紫尾山祁答院神輿寺であった。
境内に太宰府天満宮の御分霊を祀り、紫尾天神と称する。現在の社殿は西暦一八〇四年正月元旦に全焼したが、その四年後に復興し、昭和五十五年屋根銅版改修を成した。また拝殿の賽銭箱下より温泉が湧き出で神湯といわれ、神社周辺は山村の神の湯温泉として繁栄している。なお町指定文化財として、建武元年銘の渋谷氏の方柱石塔婆、空覚塔(切開殿)がある。