加紫久利神社
- 神社名:加紫久利神社
- 神社名カナ:カシクリジンジャ
- 鎮座地:〒899-0123 出水市下鯖町1272
- 例祭日:
- 通称:
- 旧社格:県社
- 神紋:十六菊
- 摂末社:3
- 社宝:
御祭神
- 天照皇大神(アマテラススメオオカミ)
- 多紀理毘賣命(タキリビメノミコト)
- 誉田別命(ホムダワケノミコト)
- 息長帯比賣命(オキナガタラシヒメノミコト)
- 表筒男命(ウワツツノヲノミコト)
- 中筒男命(ナカツツノヲノミコト)
- 底筒男命(ソコツツノヲノミコト)
- 伊邪那岐命(イザナギノミコト)
- 伊邪那美命(イザナミノミコト)
神事・芸能
三月四日~御田植の庭祭 仮装した田起こし牛・鼻取り役・馬鍬取りの農夫によるユーモラスな牛耕の儀と、お祓いをした種籾を播く散籾の儀からなる。この籾は混ぜて苗を作ると豊作になるといわれ、また家内安全・商売繁盛にと、皆我先に持ち帰る。
由緒
御鎮座年代は詳かではないが、遠く奈良朝の創建と云われ、既に三代実録には貞観二年三月二十日従五位上より同八年四月七日正五位上迄三度の神階昇叙の記載が見え、延喜式には牧聞神社とともに薩摩国より二社記載され、古来薩摩二宮として朝廷の尊崇も厚く、信仰の中心であった。
島津氏の治世となってからも薩摩の総社として尊ばれ、二十二代吉貴公は社殿を改築し、六十石を与えるなど、歴代藩主の修理・改造・再建は十余度に及ぶ。
明治六年県社として再興された後も、神域広大にして森厳この上無く、深く官民の尊崇するところであった。が、明治十年六月三日西南の役の兵火に罹り、門守社以外の社殿・神山・神宝・古文書等灰燼に帰した。同十三年には再興されたが、地租改正・農地改革により境内地は縮小され、戦後社殿の老朽化と老樹の虫害とで神域は頓に荒廃した。氏子一同復興の気運が高まり、昭和三十六年三月改築。更に平成元年にも改築され面目を一新し、往年の賑わいを取り戻しつつある。本殿に立派な鶴と亀の彫刻があり、最近では鶴亀神社として信仰が深い。