南方神社

- 神社名:南方神社
- 神社名カナ:ミナミカタジンジャ
- 鎮座地:〒895-0131 薩摩川内市高江町2255-4
- 例祭日:九月二十八日に近い日曜
- 通称:お諏訪様(スワサン)
- 旧社格:郷社
- 神紋:
- 摂末社:5
- 社宝:
御祭神
- 建御名方命(タケミナカタノミコト)
- 八坂刀賣命(ヤサカトメノミコト)
- 志奈津毘古命(シナツビコノミコト)
- 志奈津毘賣命(シナツビメノミコト)
- 大山祇命(オオヤマツミノカミ)
- 大地主命(オオトコヌシノミコト)
- 素戔鳴尊(スサノオノミコト)
- 大国主命(オオクニヌシノミコト)
神事・芸能
三月二日に近い日曜~太郎太郎踊り(県無形文化財) もとは合祀した志奈尾神社の奉納芸能で、豊作・安産・無病息災を祈願するユーモラスな農村劇。神事の後、田に見立てた境内を、太郎の弟の子供たちがテチョ(亭主)・オンジョ(古老)の教えるままに、カギ型の木を鍬にして耕す。この間、一杯気分の怠け者の太郎やコッテ牛を絡めて、方言でのやりとりがある。次に、末社の安産の神の前で宮司が安産の祝詞を奏上し、嫁女に扮した太郎が赤ん坊に見立てた自然石を産み落とし、見届けた宮司が「千石千石まいたとて」と繰り返しながら種子を蒔いておわる。
由緒
創建年代は不詳であるが、保存されている棟札の内最も古い棟札は慶長年間のものである。高江郷の総鎮守として諏訪大明神と云い、例祭日は旧の七月二十八日。祭料一斗七升五合と記録がある。
明治四十四年四月十四日、村社志奈尾神社、無格社熊野神社、同鎮守神社、同内瀬神社、村社宝満神社を合祀し、南方神社と改称した。当時の氏子は七十八戸である。