一の宮神社
- 神社名:一の宮神社
- 神社名カナ:イチノミヤジンジャ
- 鎮座地:〒895-1202 薩摩川内市樋脇町塔之原5121
- 例祭日:七月二日
- 通称:
- 旧社格:郷社
- 神紋:
- 摂末社:
- 社宝:
御祭神
- 大物主命(オオモノヌシノミコト)
- 建御名方神(タケミナカタノカミ)
- 八坂刀賣命(ヤサカトメノミコト)
- 島津家久公(シマヅイエヒサコウ)
- 應神天皇(オウジンテンノウ)
- 神功皇后(ジングウコウゴウ)
- 瓊々杵命(ニニギノミコト)
- 盛立神(モリタテノカミ)
- 荒人神(アラヒトノカミ)
- 蛭子神(ヒルコノカミ)
由緒
創建年代は不詳であるが、文禄四年に入来院重時が菱刈郡湯之尾に移される以前は清色郷(副田を除く現、入来町並びに樋脇町)の総鎮守で、大宮大明神と称した。この年から当郷は島津氏が治めたが、慶長十八年入来院氏が副田・浦之名(現、入来町)を私領として清色に戻ると、島津氏の家臣(清敷衆中、五か所衆中)と入来院氏の家臣との間に紛争が起きたので、藩庁は同年清敷衆中を塔之原に移した。
万治二年には塔之原は清敷と改められたが、延宝九年入来院の居城清色城(入来城)と紛らわしいので樋脇と改められ、この頃から当社は樋脇一之宮大明神と称して樋脇の総鎮守となった。樋脇郷は塔之原・市比野・倉野・久住・中村・楠元の六ヶ村からなり、塔之原には地頭仮屋が置かれた。貞亨元年には延宝六年に藩費白銀十三枚によりはじめられた社殿改修を終了し、以後も普請は悉く藩費で賄われたという。
明治四十四年十二月二十日無格社諏訪神社を合祀した。
令和四年十二月十四日 長谷神社(薩摩川内市樋脇町塔之原五三三八鎮座)を合祀した。
令和五年七月十三日 若宮神社(薩摩川内市樋脇町塔之原四五二五鎮座)を合祀した。
令和五年十一月六日 荒人神社(薩摩川内市樋脇町市比野三九三五鎮座),盛立神社(薩摩川内市樋脇町市比野五一二八鎮座)を合祀した。
令和六年三月十四日 蛭子神社(薩摩川内市樋脇町塔之原四九〇四鎮座)を合併した。