兼喜神社
- 神社名:兼喜神社
- 神社名カナ:ケンキジンジャ
- 鎮座地:〒895-0012 薩摩川内市平佐町1850
- 例祭日:九月第一日曜
- 通称:
- 旧社格:無格社
- 神紋:
- 摂末社:
- 社宝:
御祭神
- 北郷時久神(ホンゴウトキヒサノカミ)
- 北郷相久神(ホンゴウマサヒサノカミ)
- 北郷三久神(ホンゴウミツヒサノカミ)
由緒
文正七年八月晦日、北郷時久は出羽守久蔵に命じて、長男常陸介相久を安永金石城に攻めさせた。相久は憂憤に堪えなかったが、生きて讒言を排せないことを悟り、冤を死後に雪がんと従容と剣とに伏して卒した。相久は端正勇武にして将帥の器があったが、讒臣のために父子間を紊されたものである。
是より先耳川の激戦の折り、相久の従臣で怯懦にして逃げ走る者があり、相久は之を叱咤した。将来禍の我が身に及ぶことを懼れた此の従臣が、相久をその父時久に讒言したという。
時久は讒臣の所為であることを悟り大いに悔い、文正九年相久の霊を若宮八幡と崇めた。然し冤魂尚治まらないため、後遂に吉田家に請い、神号を兼喜相久明神と進め正一位の神階を諡った。三久が平佐に移るに及び、都城より勧請して北郷家の氏神とした。