鹿児島神社町 KAGOSHIMA SHRINE AGENCY

  • 神社名:紫尾神社
  • 神社名カナ:シビジンジャ
  • 鎮座地:〒895-0071 薩摩川内市田海町1497
  • 例祭日:十月三日
  • 通称:
  • 旧社格:村社
  • 神紋:
  • 摂末社:
  • 社宝:一、鉄兜 一、乗馬用鞭

御祭神

  • 天照大神(アマテラスオオカミ)
  • 渋谷若狭守重親(シブヤワカサノカニシゲチカ)
  • 大山津見命(オオヤマツミノミコト)

由緒

渋谷若狭守重親は、往時の東郷の領主である。桓武天皇の皇子葛原親王の後胤渋谷太郎光重は、鎌倉殿より薩摩の五ヶ所に封ぜられた際、長子太郎重親一人を鎌倉に残し、二男以下の兄弟五人を宝治二年春薩摩へ下向させた。二子早川二郎實重は東郷領主に、三子吉岡三郎重保は祁答院、四子大谷四郎重緒は鶴田、五子曽子五郎定心は入来院、六子渋谷六郎重貞は高城を各分領して、渋谷東郷堂と称した。

尚、三国名勝図会によれば、紫尾神社の祭神は天照大神で、文安元年渋谷重隆の造立、慶長九年三月島津忠長再興で、当邑の宗廟とある。また、渋谷重親を祀る親大明神の縁起を次のように伝えている。

渋谷家東郷氏五世太郎権守重親は、甲冑を帯し、芦毛の馬に騎り、没後霊験を著すと遺言を残し、二十三歳で斧淵村脇山に入定した。はたして、権現山神社(紫尾権現社 現、当社)の辺りにある鳥臼木(はじのき)に夜毎神燈が現れたので、弟太郎左衛門氏重は兄の霊を崇めて親大明神(重親の「親」の字をとり)として祀り、旧七月二十日には米を出して施餓鬼を行なった。永禄十二年平重綱再興の棟札を蔵め、淵脇山には入定の地と伝えられるところがあり大きな樹があったが、枯れたので天明辛丑年(元年)に石詞を立てたという。