阿久根護国神社

- 神社名:阿久根護国神社
- 神社名カナ:アクネゴコクジンジャ
- 鎮座地:〒899-1625 阿久根市波留6123-1
- 例祭日:四月二十八日 十月二十八日
- 通称:
- 旧社格:村社
- 神紋:
- 摂末社:
- 社宝:
御祭神
- 戦没者の命(阿久根出身)(センボツシャノミコト(アクネシュッシン))
由緒
戊辰の役以降、日清日露、大東亜戦の戦役に際し、国のため尊い生命を捧げられて戦死・戦病死された阿久根出身の忠霊を祀る。
平成六年までの合祀戦没者一四六七柱
阿久根市誌(昭和49年刊)1023頁並び県護国神社資料によれば 当初は戌辰の役に従軍して戦没した九名の郷土出身者を祭ったので招魂社と称していたが、明治十六年(一八八三)官祭となり、同十八年三月に旧西安寺南側に建立、翌十九年三月二十六日に官祭阿久根招魂社として祭典を執行した。その後、明治二十五年六月に村費をもって町門口勝目屋敷を購入し新築移転、続いて大正七年(一九一八)には阿久根小学校の構内に移転して、その後の戦役の戦没者を合祀されてきた。昭和十四年三月の内務省令により、四月に阿久根護國神社と改称した。しかし、昭和二十年(一九四五)戦災により焼失、その後遺族会の手によって同二十七年(一九五二)講和条約発効と同時に護国神社建設委員会が発足して戸柱山に同二十九年(一九五四)現在の社と合祀者の記名塔を建立したものである。