鹿児島神社町 KAGOSHIMA SHRINE AGENCY

  • 神社名:熊野神社
  • 神社名カナ:クマノジンジャ
  • 鎮座地:〒899-0502 出水市野田町下名5930
  • 例祭日:十一月九日
  • 通称:
  • 旧社格:郷社
  • 神紋:
  • 摂末社:
  • 社宝:

御祭神

  • 伊邪那美命(イザナミノミコト)
  • 速玉男命(ハヤタマオノミコト)
  • 泉津事解命(ヨモツコトサカノミコト)

神事・芸能

古くは春秋の彼岸に祭を行い、春を「願立て」、秋を「願解き」と称し、特に秋には彼岸踊りといって色々の踊りが奉納された。これには田の神舞、山田楽(ともに県無形文化財)等があった。

由緒

明細帳は天台宗山内寺の書庫に収められていたが、明治維新の廃寺により失われ委細は不明である。しかし、往古より野田村の総社であり、初代島津忠久公は初めて封に就き、出水木牟礼に居城の折、再興されたと伝えられている。更に、十九代光久公、二十代綱貴公の御代にも再興されたという。

野田村郷土誌(昭和49年刊)423頁によれば、下名中郡集落にあって村の鎮守の社である。祭神は紀州の熊野権現と同じく、伊邪那美命、速玉男命、泉津事解男命を祀ってあり、三社大権現とも云われ旧出水郡三郷社の一つである。例祭は十一月九日(元旧暦九月九日)で、村では往時より方祭を営む習がある。往時は方祭も盛で各家々では、甘酒、赤飯等を作り、その年の豊作を家族や親類と共に祝ったものであるが、近時この行事もすたれている。島津忠久が始めて封につき木ノ牟礼城にいた時に建立されたものと伝えられ、往時はこの高台の境内の廻りは繁茂した杉、松、楠等の大木が生え、境内の神厳自ら人に迫るものがあった。この社の周囲の田圃は元堀であったと云われ、社前には安永七年十二月と刻まれた石灯籠があり、その前に池と石橋がある。明治の頃、当時出水郡では珍しかった蓮をこの池に植えたので、当時旧出水郡内の人が珍重して、宮参りと見物人が絶えなかったと伝えている。石橋と狛犬は若林猪蔵氏の寄贈によるもので、当時神前の橋として神域を一層神厳にしていた。また昭和になって来仙平太郎氏が大鳥居を寄贈されている。