浦田神社
- 神社名:浦田神社
- 神社名カナ:ウラタジンジャ
- 鎮座地:〒891-3222 西之表市国上345
- 例祭日:九月十五日
- 通称:笹の宮(ササノミヤ)
- 旧社格:村社
- 神紋:
- 摂末社:0
- 社宝:
御祭神
- 鵜葺草葺不合命(ウガヤフキアエズノミコト)
由緒
創建年代は応仁元年と伝える。縁起によれば、往古伊邪那岐命は、竜城より五穀の種子を求めて当国に渡り農耕の道を定めたので、種子島と名付けられたという。後の人は「七種を 十種に分けて 種子島 波の上にも 神や蒔きけん」と歌っている。その後鵜葺草葺不合命は、日向国より来島し浦田で農耕の道に勤しまれた。時の民草は「汲み上げし 波の種子島 水かけて 神も浦田を 作るなりけり」と歌に詠んでいる。是を以て、葺不合命を浦田大明神として崇め奉り、祠殿を造営して神徳の昂揚に努めたという。はじめ浦田港北の小島に鎮座し、従五位上笹明神(大隅国神階記)と称された。元文三年、村の吟味役市兵衛が社殿を改築し往古の神跡を保ったという。明治になり現在地に遷座され、同四十年十二月十八日村社に列し、昭和五十八年三月十五日拝殿を改築した。
尚、社殿の南側には径約三米、高さ西側から三米で上部は平らな「御種蒔石」と呼ばれる巨石がある。御祭神はこの石の上から初めて稲の種子を蒔いたと伝えられ、以降当社の御種蒔きが一島の稲の豊作にかかわるとされ、中種子町鎮座の熊野神社とともに、島民の最も崇敬した社であった。また、宝満神社の赤米に対し当社はシロゴメである。
現在、浦田川は水路を人工的に変更して巨石の真下を流れ、田圃は全部宅地となり里人の家並が連なっている。