南方神社

- 神社名:南方神社
- 神社名カナ:ミナミカタジンジャ
- 鎮座地:〒899-3515 南さつま市金峰町中津野1039
- 例祭日:十月十八日
- 通称:
- 旧社格:村社
- 神紋:
- 摂末社:0
- 社宝:
御祭神
- 建御名方命(タケミナカタノミコト)
- 事代主命(コトシロヌシノミコト)
神事・芸能
四月下旬の日曜~お田植祭 鎌踊りや棒踊りの奉納がある。
由緒
宝徳三年辛未七月二十六日越前守藤原経久造立の棟札があるが、この時の創建であるかは不明である。往時は諏訪上下神社、または諏訪神社と称し、旧阿多五社の一つである。
島津忠良公は天文七年十二月の第二回加世田攻めに際し、当社に祈願し勝利を得た。その落城を祝って神舞を奉納するとともに、天文十一年には当社を再興している。更に慶長十八年十一月二十日、島津家久公によって再興されている。
昔の阿多郷内には諏訪神社が多く、花瀬に二社、白川に一社、宮崎に三社、新山に一社あったが、明治五年頃これらの諏訪神社に合祀したといわれる。また昔、加世田には諏訪神社が一社もなく、阿多には余りにも多かったので、その内の花瀬の一社の御神体を万之瀬川に投げいれたところ、加世田の人々が拾って奉斎したのが益山の諏訪神社であり、俗に投げ諏訪と呼ばれたという。