豊玉姫神社
- 神社名:豊玉姫神社
- 神社名カナ:トヨタマヒメジンジャ
- 鎮座地:〒897-0302 南九州市知覧町郡16510-壱
- 例祭日:十月十日
- 通称:
- 旧社格:県社
- 神紋:鏡に勾玉
- 摂末社:2
- 社宝:書額(領主直筆) 火焔形剣 木彫狛犬 神楽面(三十四面)
- ホームページ:http://toyotamahime-jinja.or.jp/
御祭神
- 豊玉姫命(トヨタマヒメノミコト)
- 日子火々出見命(ヒコホホデミノミコト)
- 豊玉毘古命(トヨタマヒコノミコト)
- 玉依姫命(タマヨリヒメノミコト)
神事・芸能
七月九日(六月灯)~からくり人形(国選択無形文化財) 水車の力で動く。
田の神舞、宮毘舞、鬼神舞、降神舞の神舞が伝承されている。
由緒
海神綿津見神に二女あり、姉の豊玉姫は川辺に、妹の玉依姫は知覧に封ぜられることになり、衣の都(今の頴娃・川辺の辺)をお立ちになった。途中、髪を整えられた鬢水峠、化粧された御化粧水、昼飯をとられた飯野、正式に行列を正し休憩された宮入松を経て、姉妹が行く手を違えられた取違にお泊りになった。玉依姫は川辺が水田に富むことをお知りになり、急いで玄米のまま朝食を炊かれ川辺へ先発された。平常のように白米を炊かれた豊玉姫は巳むなく知覧へ向かい、上都の城山の下に宮居を定められた。ここで、姫神は民生を撫育された後崩御遊ばされたので、郷民は御遺徳を慕い城山(後の亀甲城)の麓に社殿を建立したのが当社の始まりと伝えられる。
後、父・夫・妹の神々も合祀。天正年間火災にあい、慶長十五年時の領主島津忠充公が現在の地を寄進して、遷宮したと伝えられる。
多数の古文書や宝物が現存し、古来より社格は高く、一郷鎮守の神としてのみならず、近郷の人々の精神的支えでもあった。
応永年間、元亀年間、慶長十五年、寛文十一年等の造替再興の記録がある。
玉のように美しい子宝に恵まれるという安産の神として、また漁業をはじめ航海安全の神としての信仰は、特に厚いものがある。