琴平神社
- 神社名:琴平神社
- 神社名カナ:コトヒラジンジャ
- 鎮座地:〒891-9302 大島郡与論町立長3308
- 例祭日:一月七日・二十五日・二月十日・八月七日・二十五日・十月十日
- 通称:
- 旧社格:村社
- 神紋:
- 摂末社:1
- 社宝:
御祭神
- 大物主尊(オオモノヌシノミコト)
- 市杵島姫命(イチキシマヒメノミコト)
- 菅原道眞公(スガワラミチザネコウ)
神事・芸能
旧三・八・十月十五日~十五夜踊り(国無形文化財) 境内地の地主神社(御祭神・大地主神)の奉納踊りで、琉球王朝の支配時代の末期・永禄四年(天正十七年とも)初代の世論主(花城)が祭政一致をめざして完成したという。雨乞の踊り等を通して島民慰安・島中安穏・五穀豊穣を祈る芸能で、本土の狂言風の一番組と、琉球舞踊風の二番組が交互に踊る。
夕刻、「雨賜ポオリ」という雨を願う二番組の踊り(和服姿で顔を布で隠した男性が、手に日の丸の扇を持ち踊る)から始まり、「サンバス」という一番組の狂言(狂言の末広がりと同じ筋立て)が続き、以後交互に演じられる。十月は奉納相撲もある。
由緒
文政七年、役人鎌田新之亟の計画により、旅行及び海上安全並びに民福繁栄祈願の為め、辺后地厳石上に小祠を建立して金刀比羅大権現と名称して奉祀したが、後天保六年九月十五日、大字立長字辺后地三三〇八番地内上城に社地を移転して奉祀した。明治維新に至り、琴平神社と改称。明治四十二年、境内地を拡張整備して本殿拝殿を区別して改築し、菅原神社及び厳島神社を合併合祀した。昭和十二年九月の暴風により本殿拝殿共に倒潰したため、コンクリートにて周囲を囲い内部に木造本殿及び拝殿を建築した。
昭和二十年四月三日日米戦の空襲により社殿が全焼、二十四年氏子総代会に於て復興建築計画を立て、本殿拝殿及び境内社地主神社本殿を建設、二十五年十一月十九日竣工した。