神貫神社

- 神社名:神貫神社
- 神社名カナ:カミヌキジンジャ
- 鎮座地:〒891-2114 垂水市新城3299
- 例祭日:十月三十日
- 通称:神木どん(カミキドン)
- 旧社格:郷社
- 神紋:
- 摂末社:
- 社宝:
御祭神
- 伊弉冉命(イザナミノミコト)
- 建御名方神(タケミナカタノカミ)
- 事代主神(コトシロヌシノカミ)
- 倉稲魂神(ウカノミタマノミコト)
- 大山祇神(オオヤマヅミノカミ)
- 菅原道真(スガワラノミチザネ)
- 速玉男神(ハヤタマオノカミ)
- 事解男神(コトサカノオノカミ)
由緒
古代、神木大明神と称され、神木村の隼人が氏神として祀っていた。御祭神(神木大明神)は火照命(海幸彦)と伝えられ、社領は今の垂水市全域に及んでいたと云われる。昭和二十七年宗教法人法による届出の際、伊弉冉命を主祭神とした。
養老四年大隅隼人と大和朝廷の抗争があり、神木村も多くの犠牲者を出した。延暦二年、伊予守橘朝臣清次が社司として奉斎した。隅府温古集によると、平安時代当神社と手貫神社との間に社領地の争いが起り、手貫神社側が開聞九社に援軍を求め、鹿児島神社が加勢したため当神社は敗れ、以来社領地は新城だけとなった。
社殿建立の記録として、応永二年八月二十八日造立(領主肥後氏)の棟札、享禄三年霜月十六日造立(伊地知重武)の棟札、永禄六年の棟札(伊地知重興)がある。なおこの頃、社名が神木より神貫に改められた。
明治四十二年四月二十八日無格社黒石田神社外五社を、同年五月四日無格社鎮守神社外二社を合祀した。その後、昭和十二年二月火災により社殿が全焼し、同十四年再建、同四十六年改修、同五十九年補修して現在に至る。