住吉神社
- 神社名:住吉神社
- 神社名カナ:スミヨシジンジャ
- 鎮座地:〒899-8605 曽於市末吉町二之方3995
- 例祭日:
- 通称:住吉大明神(スミヨシダイミョウジン)
- 旧社格:府県社
- 神紋:
- 摂末社:4
- 社宝:扁額一、神幣一、神王面二、鬼面二他
御祭神
- 底筒男命(ソコツツオノミコト)
- 中筒男命(ナカツツオノミコト)
- 上筒男命(ウワツツオノミコト)
神事・芸能
十一月二十三日~流鏑馬(県無形文化財)ホゼ祭り当日の藩政時代からの伝統行事。一時絶えていたが昭和二十七年に復活。綾藺笠に狩り装束姿の射手が、疾走しながら三ヶ所の的に矢を放つ。三回の騎乗を行い計九本の矢を放ち、的中した数で次の年の収穫の豊凶を占う。矢の当たった的は魔除けになると言われる。なお油を塗った孟宗竹を立て、頂きの賞品を目指して子供達がじ昇る油竹登りや、四半的弓道大会その他の行事で終日賑わう。
由緒
住吉山(姥が嶽)の中腹に鎮座する。古代の創建と伝えられるが年代は明確ではない。
当町檍原は、古事記、日本書紀に見えるように、伊邪那岐命が禊祓をされ、住吉三神を初め諸神を生じ給うた神代の要地である。当神社はこの住吉大神の荒魂を祀るといわれ、海内諸住吉社の根本であるとされる。天和三年神祇道管領卜部朝臣兼連が、島津光久公の請いにより、当社の縁起を著した。此の縁起は社司高橋魂正が蔵していたが、延享年中の火災により焼失したという。同時に兼連が著した「日州檍原記」が「三国名所図会」に掲載されている。また兼連書の「住吉大明神」の額を保存する。
慶長年間の庄内の乱の時、島津義久公が当社に戦勝を祈願され、乱平定後の同五年三月参詣され和歌二首を奉納した。また同年四月家久公を伴い再び参詣され、両公が和歌を献じている。その後藩の直轄神社として歴代藩主の崇敬篤く、元和元年、嘉永二年に社殿が修造された。昭和七年七月十九日県社に列格。
住吉山の頂には姥石という石があり、日隅の堺石とも、高貴の人の山稜とも伝えられる。