世貫神社
- 神社名:世貫神社
- 神社名カナ:セヌキジンジャ
- 鎮座地:〒899-8601 曽於市末吉町岩崎826-6
- 例祭日:十月二十六日
- 通称:世貫大明神(セヌキダイミョウジン)
- 旧社格:村社
- 神紋:
- 摂末社:1
- 社宝:
御祭神
- 若宮命(ワカミヤノミコト)
- 常盤命(トキワノミコト)
- 天之忍穂耳命(アメノオシホミノミコト)
- 天之菩卑能命(アメノホヒノミコト)
- 天津日子根命(アマツヒコネノミコト)
- 活津日子根命(イクツヒコネノミコト)
- 熊野久須毘命(クマノクスビノミコト)
- 多紀理毘賣命(タギリビメノミコト)
- 市杵島比賣命(イチキシマヒメノミコト)
- 多岐都比賣命(タギツヒメノミコト)
- 国常立尊(クニノトコタチノミコト)
- 四十二体之眷属(シジュウニタイケンゾク)
- 天子神(アメノミコカミ)
- 山王神(サンノウノカミ)
- ニ王子神(ニオオジノカミ)
神事・芸能
三月二十六日~お田植神事 祈年祭終了後、保食神殿前庭にて神牛を中心に行う。先ず氏子二人で樫とイボタの枝を用いてカギかけ田まぜを行い、次に神官の牛ほめの口上、次に神牛にスキをつけ庭を引廻す荒田よみ、牛洗いのことば、種子播き行事と続く。最後に参加者全員で円陣を作り、両手に杉の葉を持ち神官の詞に合わせて廻りながら、前後の人の頭をなで叩き騒ぎと笑いの中で神事は終わる。
由緒
詳しくは不明であるが、神社誌には「万寿元年甲子四月十二日開現諏訪神九郎兼長末吉地頭目代平末基其後末基帰国後源久兼也」とあり、また妹尾氏、赤崎氏の勧請とも記す。神体四十二体木像とあるが、現在は二十四体(合祀神体を含む)である。神社明細帳によれば、寛文十一年亥六月に再興された。
明治四十三年一月十一日無格社天子神社、同山王神社を、同年一月二十六日無格社王子神社を合祀。この三神社は、もと池山、大園、飯塚に鎮座されていたものである。