日光神社
- 神社名:日光神社
- 神社名カナ:ニッコウジンジャ
- 鎮座地:〒899-4102 曽於市財部町北俣9260
- 例祭日:四月十三日
- 通称:
- 旧社格:郷社
- 神紋:
- 摂末社:
- 社宝:
御祭神
- 撞賢木巖之御魂天疎向津毘賣命(ツキサカキイヅノミタマアマサカルムカツヒメノミコト)
- 豊受毘賣命(トヨウケビメノミコト)
- 天小屋根命(アメノコヤネノミコト)
- 天太玉命(アメノフトダマノミコト)
- 御年神(ミトシノカミ)
- 須佐之男命(スサノオノミコト)
- 大己貴命(オオナムチノミコト)
- 蛭児命(ヒルコノミコト)
- 稲田姫命(イナダヒメノミコト)
- 羽山戸命(ハヤマトノミコト)
- 羽山津見命(ハヤマツミノミコト)
由緒
和銅三年庚戌年、京都の加茂神主某の庶子鴨頼長が、伊勢大神宮並びに加茂上下大明神を奉じて下向し、当社を建立して、代々神主を勤め神事を修めた。
往古は有封の社で禁裏の官幣、代々の武将による社殿造営もあり、至徳三年の鴨守長譲状には公方家の祈祷を勤めたことが記され、崇敬余社と異なる大社であった。しかし源平の大乱の頃より神領も減り、足利将軍の中葉より次第に衰微し、天正、文禄年中の豊臣秀吉の検地の結果大方の神領が没収され、神事も形のみを行うに至った。また、慶長四年の庄内の役の際、当社の加護があったとして、同五年三月十三日島津義久公が参拝され、二〇石余の神領を寄付している。
明治以前は日光神宮と称し、島津藩主代々の崇敬も厚く、明治までは御神幸祭や鈎木引の行事が盛大に行われたが、今は中絶している。北俣、南俣の地名は、村々が二手に別れて実施された鈎木引の行事に由来するという。
明治四十二年、御手、太玉、森崎、小国、蛭子の各無格社を、同四十三年、兵主、速馬の両無格社を合祀した。
主祭神は天照皇大神の別名異称である。