河上神社
- 神社名:河上神社
- 神社名カナ:カワカミジンジャ
- 鎮座地:〒893-2302 肝属郡錦江町城元2088
- 例祭日:二月十七日 十一月十三日
- 通称:
- 旧社格:郷社
- 神紋:
- 摂末社:
- 社宝:
御祭神
- 鵜草葺不合尊(ウガヤフキアエズノミコト)
- 神武天皇(ジンムテンノウ)
- 五瀬命(イツセノミコト)
- 稲飯命(イナイノミコト)
- 三毛入野命(ミケイリヌノミコト)
神事・芸能
一月三日~御神幸祭 一年間の地域の息災を祈願する道饗の祭り。他郷との境の四ヶ所に御神幸があり、神事が行われる。各所で持参のシバを立てて注連縄を張り、腹にやりを刺したワラ人形を置いて、悪霊や病魔が入り込まないように祈願する。
八月十五日~火祭り・柱松(ハシタマツ) ワラを巻いた松の大木に一隊が火をつけ、他の一隊が竹竿でたたき消すという祭り。五穀豊穣を祈る神事とされる。かつては神社境内で行われたが、火災の危険により、現在は神社と神川海岸で行われる。また火祭りは、神社近くの中学校で行われる。
午後8時過ぎ神事の後、百人余の男衆が、かずらをより合わせた約30本の縄を引いて松の柱を起こす。高さ十数mの柱の上部には、ワラが縛りつけてある。火をつけたホテ(麦ワラの束)を柱に投げ付け、火つけ合戦が始まる。ほら貝や鉦の音とともに、燃え上がるホテをくくりつけた竹竿を持った一隊の男衆が柱に突進し、他の竹竿を持った一隊がたたき消す。2回行われ、柱松が巨大な火柱となって祭りは終わる。
由緒
不詳。元、川上大明神と称された。以下三国名勝図会による。
上古天竺の魔訶陀国の末の姫が当地に渡海され、この姫を祭神と崇めたという。天正十二年、建部重堅、同重虎(後の吉利の主小松氏の祖)再建のことが棟札にみえる。慈眼公(島津十八代家久)の福を祈り、持明夫人が再興したという。なお鰻と鮒の二魚は当社の使いと言われ、食することを禁じられた。