鹿児島神社町 KAGOSHIMA SHRINE AGENCY

  • 神社名:北尾神社
  • 神社名カナ:キタオジンジャ
  • 鎮座地:〒893-2401 肝属郡錦江町田代麓591
  • 例祭日:十一月三日
  • 通称:
  • 旧社格:郷社
  • 神紋:
  • 摂末社:
  • 社宝:神鏡三面(内一面は森田武蔵守作)宝物刀一振、眉尖刀一振(この二振の刀は敗戦の混乱時行方不明となる)

御祭神

  • 天照皇大神(アマテラススメオオカミ)
  • 大山祇神(オオヤマズミノカミ)
  • 彦火瓊々杵尊(ヒコホニニギノミコト)
  • 木花咲耶姫命(コノハナサクヤヒメノミコト)
  • 火産霊命(ホムスビノミコト)
  • 彦火火出見尊(ヒコホホデミノミコト)
  • 玉依姫(タマヨリヒメ)
  • 日本武尊(ヤマトタケルノミコト)
  • 蚕口姫神(カイコクチヒメノカミ)

由緒

創建年代は不詳であるが、社伝によれば、領主備前守清久が応永年中島津元久公の名代として探題参謁の時、武運長久並びに領内鎮護を祈願する為、北尾の野岡に勧請したと伝う。これが社名の起源で、古来当郷の宗社であった。この旧社地を以前は御在所と云い、今宮所と云う。探題ケ塚、詣の尾道、御手洗、払川などの神社に因む地名が今も残る。

現在地に遷座の年月は伝わらない。祭神についても不詳であるが、元禄六年島津綱貴公が白銀四枚を喜捨され祀殿が改建された時の棟札に天照皇大神の広前にとある。当初北尾六所権現と称され、安永八年京都吉田家の免許を受けて大権現と崇められた。維新前の社司前田式部の代、某年十一月初卯の祭日に社殿が炎上したが、篠原源右衛門が猛火を冒して御神体を救い奉ったと云う。

祭日は十一月初卯、二月初卯、九月九日であったが、明治四十三年太陽暦に改め、十一月三日が例祭日となった。同年三月三日、阿陀児神社、山宮神社、大山祇神社、蚕口神社を合祀した。

尚境内にユスの古木五本があり、昭和五十四年三月七日町の天然記念物に指定された。その他タブ、マテバシイ、イタジイ等の古木が多く、人里近くにこのような古木群が見られるのは貴重である。