曽於市 田之浦山宮神社「神楽舞とダゴ祭り」
御在所岳と山宮神社
標高530mの御在所岳はその昔、山熊山と言われ古くからこの地方、地域住民たちの心の拠り所として、即ち山岳信仰の山として崇めまつられてきた様である。
古い文献によると白鳳2年(西暦660年)天智帝山熊山山頂へ御臨幸と記されてあり、以来山熊山を御在所岳と呼ぶ様になったと伝えられている。
現在も山頂元宮跡地には、三体の神祠が建てられている。その中の一体に天智帝廟と記されてある。
御在所岳に登るには、いくつかの道すじがあり、黒葛から登る道、東谷から登る道、又小学校の裏山から山尾根伝いに登るおよそ5㎞の道すじがある。これらが昔からの登山道であった。
小学校裏山から登ると山頂近くに宮居の跡と思われる場所がある。山頂宮居所での祭祀を此の処でも行われたと想像される石垣跡や一寸とした広さの平地が、今尚はっきり残っている。
現在地、宮地門に神社が建立されたのは、古文書によれば和銅2年(西暦709年)巳酉6月とあることから、今から約1300余年も前のことである。
日頃の祭典は宮地の神社で行い、年数回は山頂の宮処や学校裏山の斎場で行われたと思われる。
山宮神社と神楽舞
- 田之浦山宮神社に伝わる神楽舞はその起源は詳らかではないが、江戸時代初期慶長年間すでに神楽殿が建てられていた記録が残っている。以来度々舞殿が改築された時の棟札が、今尚神社に保管されている。
明治32年御神体御更衣の大祭に33段を舞う大神楽が奉納され、今使用する神楽面や舞衣装、他舞道具等はその時整えられたと言い伝えられている。
その後も度々大神楽が奉納され、昭和17年現在の社殿新築落成の時の神楽奉納を最後に一時途絶えていたが、昭和58年保存会が結成され復活した。当時12段しかなかった舞も現在25段を数えるようになった。
昭和60年10月には大口市(現伊佐市)での鹿児島伝統芸能祭に参加、平成4年10月には福岡市での九州地区民俗芸能大会に鹿児島県代表として参加した。
平成元年には志布志町無形文化財として認定され、平成3年3月には、2月1日のダゴ祭り行事と共に、鹿児島県民俗無形文化財として認証されている。
神楽の里、田之浦が誇り得る此の伝統文化を受け継ぎ伝えていくよう努力していく所存である。
ダゴ祭り
田之浦山宮神社の二月第一日曜日の春祭は「ダゴ祭り」といわれており、氏子である田之浦地区の各集落から「だご」が奉納される。集落は現在十二あり、だごは各集落から一本ずつ奉納される。
昔は、各門(かど)から一本ずつ、例えば現在の大越集落では三本奉納されていた。そして、黒不浄のあった門、つまり、正月から祭りの日までに亡くなった人がいた門からは、不浄を嫌って奉納が遠慮された。現在でも、亡くなった人の居る家庭からは、だごの材料を遠慮して出さないようにしている。
当日は全戸仕事を休んでだご作りをする。だご作りの材料は、各家庭から持ち寄る事になっているので、米の粉などを持って、朝から集落の全員が宿に集まる。だご作りの宿は、集落の代表者の家か、集落婦人会役員の家や集会所が充てられる。
だご作りでの男の仕事は、だごを刺す串作りと、だご串を挿す「つと」作りである。串は、なるべく肉の厚い軟らかなきんちく竹を使用する。きんちく竹を長さ30センチメートル位に切り、それを1.5センチメートルほどの幅になるよう、4本から8本くらいに割る。割った竹の根の方は、つとに挿せるように尖らせる。末口の方は、端の方を少し残して、内側の肉の部分を根の方に向けて、串の中ほどまで薄く何枚にも削る。薄く削るとクルクルと巻いたようになる。これは稲の穂に見立てたものである。
次にだごや人参などを刺せるように、末口に切り込みを入れ、三つに割って先を尖らせる。このような串を200本ほど作る。「つと」は、長さ2メートルほどのから竹か、細めの孟宗竹の上部に、藁を縄で巻いてだごの串を刺せるようにして作り付けたもので、長さ45センチメートル、径17~8センチメートルほどのものである。
つと作りは、まず藁の小束を根元と穂先を交互に向かい合わせて並べ、その中央に竹の末口の方を置き、竹が中心になるように、周りを藁で包んで、竹の末口の方から藁の長さの半分近くまでを三ヶ所ぐらい縄できつく縛る。
次に、縛っていない藁の残りの半分を、先に縛った藁の上に被せるように、外側に折り返し、今度は縄をぐるぐる巻きに、だごの串が挿せるように粗めにゆるく下の方から上の方に巻いてゆく。また、縄の巻き方は、神様に上げるものなので下の方から上へ巻き上げないといけないといわれている。
女の仕事は、だごを作って串に刺し、それをつとに挿したりする。だごの材料は、粳米を粉に挽いたものを使う。粉に水を加えてこね、径3~4センチメートルにまるめ、ゆでて盛とり粉をまぶし串に刺す。
だごの彩りは集落によって異なっている。だごの頂に紅を塗ったものとか、白いだごと紅を混ぜただご、つまり紅白のだごを刺したものとがあるが、黒葛のだごは、紅を一切用いず白いだごのみで、素朴で昔のままの面影を残している。
串の先は三つに割ってあるので、真ん中にだごを刺し、残りの二本に彩りを添えるため、人参や黄色いたくあんを四角に切ったものを刺す。つとには、だごの串と一緒にこの時季に咲いている椿の花や金柑、榊や南天の実の小枝などを挿して飾り立てる。つとの頂上に紅白の大きな平たいだごを挿す。この大きなだごは、お祭りがすんでから集落で貰いうけて持ち帰るところがある。
出来上がっただごは、担いだり遠いところは自動車に乗せたりして、お宮に持って行き奉納される。だごが倒れないように拝殿の柱などにくくりつける。
- お祭りがすむと、お宮の庭にだごが持ち出され、祭りに集まった人たちはだごを貰って帰る。昔はだごを争って取り合っていたが、近ごろは役員が集まった人たちに分けてやっている。
このだごを食べると、一年中息災に過ごすことができるといわれている。焼いて食べると火の災にあうといわれるので、生で食べたりぜんざいにして食べたりする。また、豊作を祈るため持ち帰って床の間に飾るところもある。だごを抜いた串は、もぐら除けや虫除けに効きめがあるというので田の水口に挿したりする。
田之浦山宮神社
宮司 冨岡俊幸