鹿児島市 照國神社 六月燈
御祭神である島津齊彬公の命日7月16日(新暦)に合わせ15日、16日2日間に渡り開催される。
六月燈は7月に入ると鹿児島の各地で毎晩のように執り行われ、今では夏の風物詩の一つとされる。中でも当神社の六月燈は最も盛大で毎年約10万人の参拝者で賑わう。
由来については、一般的には下記の資料①にあるように、19代光久が上山寺新照院に観音堂を造立して参詣した時、沢山の燈籠を寄進したことから始まったとされている。島津家にとって特に重要視されている初代忠久(忌日・旧暦6月18日)、中興の祖忠良(同6月13日)、三州統一の貴久(同6月23日)の供養の為、命日(忌日)に家臣が燈籠を菩提寺に奉納した。忌日が共に旧6月であり六月燈と呼ばれた。
重豪の時(1,800年以降)より、「廿三日大中(貴久)公様御祭、群集也、武家・町より、きりことふろふ上る也」とあり、これより武士のみならず町方、庶民に至るまで浸透していった。
明治の廃仏毀釈により、島津家は仏教より神道となり、市内の照國・松原神社等、島津家縁の神社のみならず、各神社にても、執り行われるようになった。太陽暦採用によりひと月遅れの7月の夏祭りとして、地域の人々が燈籠を奉納し、除災退疫・家内安全・五穀豊穣・商売繁盛・健康等を祈願した。
燈籠の種類は武者絵、特に歴史物・美人画等の絵が多く、長燈籠や廻り燈籠・影法師燈籠・太鼓燈籠等の形など趣向を凝らした物もたくさんあったとされる。
現在当神社の燈籠は、保育園や幼稚園を始め小・中・高生の絵が中心で、約800燈が境内を飾っている。
又、神賑行事や打上花火・沢山の夜店が軒を並べ多くの人たちに楽しんでもらっている。
「資料」① 新照院観音堂『三國名勝図会』
(前略)本府の俗、神社仏閣、毎歳六月、必ず其縁日の定夜ありて、大に燈(トウロウ)を陳(ツラ)ぬ、六月燈と呼ぶ、是寛陽(19代光久)公の御時とかや、此上山寺観音に、数多の燈を点じ給ひ、諸人も寄進し、参詣多かりし、これに濫觴して、あまねく行れたりとぞ
注)所﨑平 氏「六月灯考」『かごしま民俗』を参考にしたものです