指宿市 熊野神社「山川みなと祭り」―カツオの港沸きあがる初夏の日―6月第1日曜日
熊野神社
指宿市山川福元に鎮座する、熊野神社(権現様)は堀川天皇(1107年)の御代、頼仁法印が熊野より観請されたのが始まりといわれる。御祭神は速玉之男尊(ハヤタマノオノミコト、熊野速玉大社の祭神)、伊邪那美尊(イザナミノミコト、万物の母神)、事代主尊(コトシロヌシノミコト、竜宮の海神)他12柱神を併せ祀るとあり、漁業、航海安全、安産の神様である。
又、古来、藩主島津家の崇敬厚く文明4年の社殿再興以来、修理改造が数度に亘り行われる。慶長14年(1609年)の琉球征伐のおりには、藩主の島津家久公が戦勝祈願祭を執行された記録が残っている。
趣旨書の宣誓より現在
昭和9年に大阪毎日新聞山川通信部の主催により「みなと祭り」は、初めて行われた。当時の趣旨書には次のような一文がある。
(前略)…カツオ漁港として鮮やかな跳躍をなし、今や南海開拓の日と相まって、ミナト・ヤマカワは.…(中略)…さらに美しい伝統と輝かしい未来に生きる山川の上に久遠の平和と隆昌を神かけて祈願し奉り、この祭りを通じ港の発展のために精神的結合をはかり、併せて山川来航者大歓迎の日とし「俺が港のお祭り」を全山川町民と共に、山川よいとこの歌華やかに謳歌せんと欲し…(後略)
この文面から、当初の目的は
- 港の発展のために祭りを精神的なよりどころとすること。
- 外来船の乗組員を歓迎すること。
- 山川町民の心を結びつけること。
などであったことがわかる。「みなと祭り」は漁協の水揚場を中心に行われ、平成28年で83回目を数えようとしている。
「山川みなと祭り奉賛会」として紆余曲折ありながら、年々、活動してきたが今年より「山川みなと祭り実行委員会」と名称を変更して、菜の花商工会に事務局をおき、指宿市、漁協、水産加工組合の4社が共同で主催を実施する。
第82回「山川みなと祭り」(平成27年)
まずは、前夜祭として【花火大会】。午後8時より初夏の山川港の夜空に3000発を色彩豊けく打ち上げる。
当日は、午前8時より【神事】として山川港近く信仰深き、熊野神社にて御神幸祭を斎行いたし御神輿へ出御の後、鬼人面、内侍、太鼓、笛、総代等々一列にして神幸である。
午前8時半よりは、【船団パレ-ド】として御神輿を御座船へ、又、満船飾の10数の漁船団と共に山川港内を左回りに3周して行船する。
午前10時より【街頭パレード】として神幸行列と合わせ、町内みこし、山車10数基、各機関の踊り連200名程が加わり、町内を練り歩く。その後に、御神輿は還幸の儀へ、熊野神社より拝見である。
正午より【祝賀演芸会】として小中髙生の演奏、出し物、各舞踊等々、多種多様な催しものが繰り出される。又、別のステージではカヌー体験、活魚のつかみ取り、青魚の詰め放題、巡視船見学、抽選会等々、催しものが次から次へと開催され続ける中、次第に日は西に傾き始めて熱気覚めやらぬ内に、1日の終わりを告げる。
「山川みなと祭り」の今後
山川港の繁栄や航海安全を祈念する事に加え、山川の特産品(鰹等々)を始め指宿市の魅力をPRする場としての取り組みも広がる。又、警察、海保、看護協会、学校などがイベント発表や出店をしているので、山川の様々な機関を巻き込んだ一大イベントになっている。
この伝統的なお祭りを、どのように存続させ、盛り上げていくか、後継者を育てていくか、集客を増やしていくかが課題である。
参考文献:山川町郷土史
協 力 菜の花商工会
指宿市
宮 司 中村 れう子