熊野神社「10年に一度の親子の対面・里帰り神幸祭」
熊野神社 宮司 黒木憲昭
当神社は種子島、中種子町に鎮座しております。
鹿児島県神社庁熊毛支部は、種子島、屋久島、口永良部島、3島からなり、種子島に35社、屋久島に17社、口永良部島に1社、合計53社の神社が鎮座し、種子島に18名、屋久島に3名、口永良部島に1名の神職が奉仕しております。
熊野神社由緒
当神社の由緒書によると御花園天皇 享徳元年(1452年)時の領主 種子島家 第10代幡時公創建たり。ある伝説に依れば北条氏時代 種子島氏第3代久徳氏の創祀なりといえども詳細は判らず。
享徳元年 (1452年) 第10代 幡時公が紀州 (和歌山県) 熊野権現宮より御分霊を勧請し祀ったといわれている。種子島にポルトガルから鉄砲が伝わったのが1543年なので、創建は鉄砲が伝わる91年前となる。
このことに関しては「種子島家家譜」に「幡時蚤歳 (わかき) より天建の法を行い、熊野権現宮を崇信して、毎年詣ず・・・」とある。
また「三国名勝図絵巻51」によると「幡時壮年の時、紀州熊野権現を信仰し、熊野より小石を筥にして来て勧請しける」とある。そして「その石、年を経て年々成長し、今は高さ4尺7寸余り、周廻り丈3尺余り、左右小石を産し、小石はまた年々大きさを増す。其の形色皆母石に異なることなし」とあり、ご神体の石は年々大きくなり、小石を産したとある。その出生の時は神社が鎮座している権現山中腹の小池が濁ったとされ、御子神が成長する事御母体に同じ、明治初年までお産ありと伝えられ、8体の御子神を為しうち1体は明治2年、町内浜津脇に熊野神社として祀られている。
また、周辺に豊受神社、霧島神社、八幡神社、恵比寿神社等、8か所に神をまつり、八所権現、八方神として本社鎮護の神としている。
御祭神は 伊邪那岐神、伊邪那美神。
御祭神が夫婦の神ということで昔より縁結びの神、安産の神として種子島島民の崇敬を受けており、種子島に古くから伝わる民謡「草切節」の歌詞の中にも
熊野権現様 あらたかな神よ 三度詣れば夫婦も給る(つまもたる)
と歌われている。
宝物として御神像3副對、薩摩藩第9代藩主島津斉宣公御像、参勤交代の時抜けた歯、篤姫の叔母にあたる松寿院の御像等がある。
現在の社殿は昭和38年、台風で倒壊した為鉄筋コンクリートの社殿に改築された。
種子島では先祖を神道で祀る家庭だけを氏子と称しており、230戸の氏子で神社の護持に協力してもらっている。
明治14年に郷社となり昭和18年3月に縣社に昇格した。
御例祭は4月3日、夏祭り旧暦6月15日、新嘗祭11月23日、祈年祭2月17日、毎月1日に月次祭を斎行している。
熊野神社10年に一度の親子の対面、里帰り神幸祭
「今日乃新嘗乃御祭里爾明治二年町内波星原浜津脇乃里爾祀良礼志御子神 十年爾一度乃親神乃許恵乃里帰里 親子乃対面乃御祭里併世仕恵奉良久登・・・」
当社の御神体は鎮座以来八体の子供の神様をお産みになったと伝わる。その第一子を本社より16キロ離れた星原、浜津脇の人達の勧請により明治2年熊野神社としてまつられている。
その御子神が10年に一度お嫁に行った娘さんが実家に里帰りするように神輿に乗って帰ってくる。島の人たちは「親子の対面」と称している。
かつては15年に一度の里帰りだったが、人間の世界でも同じように、15年ぶりの再会は長すぎると昭和54年より10年に一度の里帰りとなった。また、以前は16キロの道のりを神輿を担ぐ人たちは歩いての渡御であったが、過疎化、高齢化が進み、近年は途中車を利用することが多くなった。今回は天皇陛下御即位をお祝いして11月23日の新嘗祭に斎行された。
まだ夜が明けぬ午前6時、御子神様は神輿に移され、午前8時、親神様の許へとお宮を出発される。午前11時に斎行される親神様のお祭りに間に合うようにするためである。
昔は神輿の担ぎ手は独身で、両親健在の若者と限られていたようだが過疎化で若者も少なくなり、いつしかその制限もなくなった。
道中、あちこちで神輿が通ると島の人たちが頭を垂れて、10年ぶりの再会を喜び道中の無事を祈る姿が見られる。
10時過ぎに親神様の許にと到着すると170段ある階段の下で当社の氏子の人たちが出迎え、親神様の許へと先導をする。
お祭りが始まると本殿の御扉が開き、いよいよ親子の対面、御子神様は御扉の前へと昇殿し、10年ぶりの対面が始まる。神饌が供えられ、宮司祝詞奏上。
人間の世界でもそうであるように、きっと「元気だったか」と親子でお話をしているのではないだろうか。
祭典が終了すると親子の神様はご対面のまま、境内では10年ぶりの再会を喜ぶ地元に伝わる郷土芸能の奉納が始まる。当社では大きなお祭りには「寺踊り」という神楽が地元集落の氏子によって奉納される。神社で踊る神楽なのに「寺踊り」とは神仏混合時代の流れか。その後2集落の氏子の人達により「棒・鎌踊り」「ひょうたん踊り」が奉納された。
3時間ほど滞在、対面の後にそろそろ御子神様は帰路につかれる。
不思議にもそれまで日が差していた空が急に曇りだし、拝殿前の階段を降りだしたら、ほんの数分雨が降り出した。見送りの人たちは「帰りたくないんだろうなぁ~、今度会うまで10年は長いもんなぁ~」とつぶやいていた。
神輿を担ぐ人達に尋ねると登りの170段の階段、御子神様の乗った神輿は早く両親に会いたいから軽くなるという。そして帰りの階段は下りにも関わらずまだまだ両親のもとにいたいから重たくなるという。親と子が会いたい、帰りたくないという気持ちは神様の世界も人間の世界も同じなのか。
10年後の里帰りを楽しみにしながら御子神様は16キロの道のりを帰られた。その頃は涙雨も上がっていた。
熊野神社
【鎮座地】熊毛郡中種子町坂井6029