大宮神社 「入来神舞」
大宮神社 宮司 是枝政文
大宮神社沿革
薩摩川内市入来町浦之名「日の丸」に鎮座する大宮神社の御祭神は大己貴命で、鎌倉時代に薩摩国入来院地頭職であった渋谷氏(後に入来院と称す)が近江国坂本の日吉大社山王権現を勧請した神社と伝えられる。はじめは入来院内「牟田多」に社地があったが、十一代領主の入来院重豊によって現在地に遷座、爾来数百年入来院の総社として、また産業生産、縁結びに御利益のある神社として郷民に厚く尊崇され、明治四年には郷社に列格した。
入来神舞
大宮神社の例祭に奉納される入来神舞の起源は相当古く神話伝承の「隼人舞」まで遡るといわれており、特に神舞三十六番中の二十二番「十二人剣舞」は奈良時代の前後にかけて隼人が宮城の十二門を警護したことを象徴する舞とされ、これに後世、雅楽や出雲神楽等の神事芸能の要素が加わり現在の神舞になったと推測される。
この十二人剣舞には国歌「君が代」の歌詞が含まれていることも特筆すべき内容のひとつである。君が代の歌詞は古今和歌集に詠み人知らずとして収められた和歌が元になっているが、これが十二人剣舞の中で朗詠され続け、戦国時代に入来院重聡と姻戚関係にあった島津中興の祖、島津忠良に伝わり、薩摩琵琶の楽曲「蓬莱山」の歌詞として用いられ、これが連綿薩摩藩で受け継がれ、薩摩藩士で後に明治時代の元勲となる大山巌によって君が代の歌詞として採用されたといわれている。即ち国歌「君が代」の発祥には入来神舞が多大なる貢献をしたことになる。
このような経緯により昭和十一年には東京オールトーキーキネマ社より映画化され、昭和十五年には文部省の招聘により明治神宮や靖国神社等に奉納され、戦後にはテレビ番組「題名のない音楽会」公開録画に出演、十二人剣舞を舞い、司会者の黛敏郎の解説の中で君が代の歌詞選定について触れられた。このことから薩摩川内市の無形民俗文化財に指定されていたが、令和二年の今年、他地域に伝わる神舞と比較研究することによって芸能史の解明に寄与するとの観点により鹿児島県の無形民俗文化財に指定された。
入来神舞の中では十二人剣舞が有名であるが、その他に巫女が舞う猿女舞や三隈舞、四方・四季を表現している青・赤・白・黒の鬼神が舞う四方鬼神の舞、五穀の豊穣を祈念し収穫に感謝する杵舞、田ノ神舞等が伝わり、入来町の神職をはじめ「入来神舞保存会」によって継承されている。
大宮神社
【鎮座地】薩摩川内市入来町浦之名7308