鹿児島神社町 KAGOSHIMA SHRINE AGENCY

鹿児島神宮

御祭神 天津日高彦穂穂出見尊(山幸彦)・豊玉比売命
相殿
・帯中(たらし)比子尊(仲哀天皇)
・息長(おきなが)帯比売命(神功皇后)
・品陀(ほんだ)和気尊(応神天皇)
・中比売命(同皇后)
例祭日 旧暦8月15日
現等級 別表社(旧官弊大社)
神紋 重菊

御由緒

当社の御祭神は海幸山幸の神話に記されてあります。

山幸彦(彦穂穂出見尊)であり、創祀は遠く神代にあって、また皇孫神武天皇の御代とも伝えられる。御祭神彦穂穂出見尊は筑紫の国開拓の祖神とされ、この地に高千穂宮(皇居)を営まれ、農耕畜産魚猟の道を人民に教え導き、民政安定の礎を築かれた。

当社は古く正八幡宮、国分正八幡、大隅正八幡等と称され、多くの人達が親しみをこめ崇拝した。醍醐天皇の御代、延喜の制(901年)には大社に列し、大隅国の一の宮として朝野の崇敬特に篤く、営繕の費は三州の正税以て充てられた。後鳥羽天皇建久年間(1198年)には社領二千五百余町歩の大きに至り、江戸末期まで千石を有していた。

明治4年国幣中社、同7年神宮号宣下官幣中社、同28年官幣大社に列格した。
昭和59年昭和天皇の行幸を仰ぎ、勅使皇族の御参拝は二十余度に及ぶ。
現社殿は宝暦6年(1756年)島津重年公(24代藩主)の造営によるものである。

主な祭典並びに特殊神事

例祭

旧暦8月15日 満月の十五夜の日で御神徳を仰ぐ由緒ある日。

七種祭

1月7日 神印拝戴、翁舞、追儺式あり。
神印は元正天皇奉納(723年)のもので、之を額に押戴くと年中災いなく、幼児は特に生育障なしと云われる。

初午祭

旧暦正月18日(近年、行事は日を過ぎた日曜日にとり行う)御神馬を先頭に鈴懸馬多数が人馬一体となり踊りながら参拝する、全国でも類を見ない神事である。

初午祭

御田植祭

旧暦5月5日(近年、行事は日を過ぎた日曜日にとり行う)地区内から選ばれた早男早乙女による挿秧(なえさし)の儀があり、田ノ神舞・トド組・棒踊り等の奉納がある。

七夕祭

8月7日 境内に七夕飾りの奉納あり。御神宝の潮満珠潮干珠以外の宝物が風入れの為、陳列される。

御浜下り祭

御浜下り祭

10月第3日曜日に「放生会の大路」と古記に記される道を通り、隼人塚にて慰霊祭、御神幸地浜御殿まで行列を組み、浜下りの神事を行う。

宝物

御祭神が海の国にて受けられた潮満珠潮干珠をはじめ甲冑・古印・鏡・馬角・瑠璃屏風・青磁鉢、補任状等始め文書類がある。特に甲冑3領は文部省の重要美術品の認定を受け、鹿児島県歴史資料センター黎明館に出陳されている。

当社は多くの刀剣を所有していたが、終戦時の押収により国宝含む多くの刀剣の所在がわからなくなっている。しかしながら刀剣秋広(重文)が平成15年に神社に戻り、現在は黎明館に出陳されている。

また島津公より奉納されたタイ王国産の灰陶壷が、今般、日本・タイ王国文化交流事業の為、平成23年1月よりタイ王国国立博物館にて里帰り展示される事が決まっている。

宝物

御陵

高屋山上陵(たかやのやまのうえのみささぎ)と称し、溝辺町にある。

摂末社

摂末社

11社
石體(しゃくたい)神社(石体神社) 鹿児島神宮の摂社で安産守護の御神徳あり。もとは御祭神が高千穂宮を営まれたその正殿があった所で、当社の起こりでもあります。鹿児島神宮は和年間(708年)に現在の位置に遷り、社殿の跡地は空き地でありましたが、御神座の下の石が御神石として広く世の人に崇敬され社殿を造ったのが石體神社であります。現在も安産祈願の後、御石を1つ借りて持ち帰り、出産後に1つ御石を加えてお返しする習慣となっている。