鹿児島神社町 KAGOSHIMA SHRINE AGENCY

照國神社 宮司 島津修久

三島村に伝わる神事

 私は平成二十一年七月、ご縁があって三島村三社の兼務宮司をお引受けした。島津八百年の歴史の中で、三島の硫黄島には大変お世話になってきた。

 一つ目は大陸貿易の目玉商品が「硫黄」で、硫黄は「火薬と医薬品」の原料だったため、足利幕府から抜群の優遇をされてきた事。

 二つ目は秀吉の朝鮮出兵から撤退する時、殿軍しんがりを命じられた島津義弘公の軍勢が、明朝みんちょう連合軍の李舜臣イスンシンの大軍に包囲され、撤退不能に陥った時、硫黄島の長濵吉延よしのぶの水軍に救われ、小西行長の軍勢も共に、無事生還出来た事。(この時、吉延は恩赦を辞退し、「熊野神社」の維持・修復を請願。義弘公は諾し、鎧兜、太刀等も奉納したと伝えられている。)

 三島村は今は鹿児島郡に属しているが、旧藩時代は、川辺郡に属していたから、戦乱の時代には、川辺郡を領した武将が、坊泊ぼうとまり鹿篭かご(枕崎)など南九州の良港をも所領とした。島津日新公も川辺郡を制して、島津本家を総括することが出来るようになったのである。

 大陸貿易のルートは、瀬戸内海の村上むらかみ水軍が抑えていたから、堺や紀州の商人達は南島廻りのルートを採り、「熊野」と「高野山」の信仰をも広めた。「琉球八社」のうち七社(波上宮なみのうえみや普天間宮ふてんまみや沖宮おきみや識名宮しきなみや末吉宮すえよしみや天久宮あめくみや金武宮きんみや)は熊野神社。一社は安里あさと八幡宮である。旧薩藩も宮古島等に熊野神社を建てた。

 さて、三島航路は鹿児島北埠頭を朝九時半に出航すると十二時半に一番近い「竹島港」に着く。

 竹島の神社は「ひじり神社」。設立登記では御祭神は豊玉姫とよたまひめ命・彦火火出見ひこほほでみ命。三国名勝図会さんごくめいしょうずえ薩隅日地理纂考さつぐうじつちりさんこうでは祭神不詳。例祭は九月九日。旧社格は村社。前宮司は故長浜吉守氏。旧社司家は安永光徳家で、玉串奉奠も筆頭でお願いした。伝承されてきた祭事は、同氏が亡くなられたので、神庫等に残された数々の面や、祭器具などをもとに、調査を始めることが課題である。

 竹島を出航すると、目前の硫黄島まで三十分。午後一時過ぎには港に着く。船の離着岸には、毎回必ず学童達のジャンベ奏楽の歓迎がある。

 硫黄島の神社は「熊野神社」。御祭神は設立登記では硫黄大権現・安徳天皇。前掲の図絵と纂考は、伊弉諾いざなぎ尊・事解男ことときお命・速玉男はやたまお命の三坐。旧社格は村社。

硫黄島のメンドン(写真:三島村提供)

 創立は治承二年(一一七八)五月。丹波少将成経・平判官康頼・僧俊寛が流刑になり、赦免を得て帰京されることを祈願。建立した。

 前宮司は故長浜吉守氏。例祭の五月五日は、安徳帝の御命日。

 硫黄島の特別祭儀。八月の太鼓踊奉納祭は「メンドン」と云われ、平成三十年に八県八つの伝統行事を「無形文化遺産・来訪神・仮面仮装の神々」に追加され、県内では甑島こしきしまの「トシドン」、悪石島あくせきしまの「ボゼ」、硫黄島の「メンドン」がユネスコで一括登録された。

 「メンドン」は、毎年旧暦の八月一日、二日の夕刻。熊野神社の境内前で行われる太鼓踊(保存会・安永孝会長)に、境内奥から十人(程)現れ、赤と黒の渦巻き模様の仮面をかぶった仮面神が、手にしたスッベン(柴)の木の枝葉で、宴席中の住民達を追い回して叩き、魔除け・厄払い・無病息災を願うものである。 

 「メンドン」は、一般財団法人・神道文化会より、神道芸能普及に貢献があったとして、平成二十九年度に「保存会」が表彰された。

 硫黄島を出航すると、約一時間で黒島の大里港に着く。

 黒島には大里に「黒尾神社」。設立登記では御祭神は黒尾大神。図絵・纂考では不詳。住吉神・黒尾大明神とも云われる。旧社格は村社。「口碑」には、平家の落人(姓不詳)を祀った。創立不詳と云う。例祭は九月十日。

黒島 黒尾神社例祭(写真:三島村提供)

 前宮司は故長浜吉守氏。旧社司家は、大夫家の日高政行氏からご子息のさとる氏が継がれた。

 「神事神役目行事録」(平成七年十二月廿日記写シ)が遺され、年初から年末迄の年間の祭事・所役の役割・作法から、神饌・直会ノーライの品目まで詳細に記されている。また、異常事態が発生した時の、各所役の役割まで記してあり、貴重な記録である。

 なお、年間の祭事は、二月・九月・霜月の三大祭のほか、定期に年間十五回のお祭りが行われる。

 「神の役目」も、大夫・伊勢大夫・複数の社家士が祭事を務めておられる。

 黒尾神社の神事については、県民俗学会の松原武美先生の御研究がある。

 三島村の民俗芸能・仮面については、県民俗学会の出村卓造先生の御研究がある。

  黒島の片泊かたどまりには、「菅尾すがを神社」(神社本庁包括外)があり、御祭神は不詳。黒尾大明神・黒尾菅尾大明神とも云われ、例祭日は九月十一日。神事は、黒尾神社の日高覚氏が御奉仕される。

「平和観音」のこと

黒島の平和観音(写真:三島村 日高重行氏提供)

 黒島には、今次大戦で特攻機四機が海中に不時着。安部正也陸軍少尉は、島に「医薬品や菓子類」等を投下して再出撃され亡くなった。二十一歳だった。

 生存された江名えな武彦氏(神奈川県川崎市在)は、毎年五月中旬、渡島され、平成十六年には黒島に懸案の「平和観音」を建てられ、慰霊祭を行われてきた。令和元年十二月御逝去。九十六歳だった。

 

元特攻の江名武彦氏(右)と島津宮司(左)
於・照國神社社務所 平成23年4月8日(写真:三島村提供)

 江名さんには照國神社にも数回参拝戴き、私も黒尾神社の例祭日には渡島。「平和観音」と故安部正也大尉の慰霊碑に参拝し、同席者と共に、必ず「海ゆかば」を唱う事にしている。