花尾神社「岩戸疱瘡踊り」
花尾神社 宮司 貴島吉宣
花尾神社
鎌倉時代の初期、建保6年(1218)島津忠久公の建立と伝えられ、800年余りの歴史を有している。
御祭神は、相殿祭神に清和天皇、主神に源頼朝・丹後の局、従祀神に僧永金が祭られている。
社殿の構造は、権現造りで、杉材銅板葺き、建坪76坪、現社殿は正徳3年(1713)の建造となっている。また、社殿は構造上極彩色が取り入れられ、日光東照宮にも似て美しいので「さつま日光」と言われる。内部天井は格子天井として、その一つ一つに草花の絵401枚が描かれている。
丹後の局が安産だったと伝わることから、お産の神として安産・子授祈願の参拝者も多い。
秋の大祭時に奉納される郷土芸能は、花尾太鼓踊り・大平獅子舞踊り・岩戸疱瘡踊り等がある。
岩戸の疱瘡(ほうそう)踊り
古老の言い伝えによると、岩戸ほうそう踊りは「花尾太鼓踊り」とともに、藩政時代(3・400年前)より踊り継がれている。当時は天然痘という恐ろしい伝染病が流行し、多くの村人が亡くなった。幸い命を取りとめても、顔に傷跡が残る恐ろしい病気であった。この天然痘が流行しないように、自分たちの村に入ってこないように、また万一病気になっても早く治るようにと、神仏に祈りを捧げるために踊られたものと言われている。
医学の進歩とともに、天然痘という恐ろしい病気も姿を消したが、踊りの方も自然と踊られなくなってしまった。終戦後、古老が発起人となり、この伝統ある岩戸ほうそう踊りを後世に末永く残すべく伝授されたものである。
踊りは先踊りと後踊りで構成され、先踊り(さっきょん)の2人が踊り子を先導し、三味線に合わせて踊る。後踊りは黒装束に身を包んだ「大しべ持ち」3人が先導し、歌と三味線に合わせて踊る。女踊りで、優しさの中に真剣な祈りが込められた優雅な踊りである。
現在は、鹿児島市の無形民俗文化財として指定され、花尾神社の秋の大祭に奉納されるのを始めとし、文化祭、敬老の日、各地の芸能大会に披露している。
また、花尾小学校文化財少年団にも岩戸ほうそう踊りを伝授し、郷土芸能の保存伝承に努めている。
花尾神社
【鎮座地】鹿児島市花尾町4043