大屯神社 諸鈍シバヤ〈国指定重要無形民俗文化財〉について
高千穗神社 宮司 當郷裕之
大屯神社由緒
鎮座地:大島郡瀬戸内町諸鈍栗原253(加計呂麻島)
御祭神:應神天皇、神功皇后、三位中小松(平)資盛卿
例祭日:旧暦9月9日
御由緒:創建年代は不詳であるが、境内には文政11年建立の平資盛卿の墓碑が現存しており、鎮座地の「諸鈍」は、卿が配下の者に「ここまでは追っても来るまい。よって諸公は鈍になれ(安心せよ)」と言ったからと伝えられ、平家の落人伝説が色濃く残っている。
諸鈍シバヤ
諸鈍シバヤは、旧暦9月9日大屯神社の例祭日に奉納される芸能であり、昭和51年に国指定無形民俗文化財の指定を受けた民俗芸能である。「諸鈍芝居」と漢字を当てて表記されているが、「諸鈍シバヤ」と表記させることが多い。
「シバヤ」とは、その語源には、複数演目で構成される「芝居」からきたもの、あるいは、柴で葺いた小屋(楽屋)からきたのではないかという見方がある。
諸鈍シバヤの特徴
諸鈍シバヤには3点の特徴がある。
○第一に、出演者がすべて男性であることである。成員は「シバヤニンジョウ(シバヤ人衆)」と呼ばれている。
○第二の特徴としてあげるのは、紙で作った面(カビディラ)をかぶって披露されるという点である。日本の仮面芸能が木製の面が主流で、神社などで長年保管されているが、奄美群島に伝わる仮面芸能は、紙製の面を使用することが主流である。(本芸能の他にも、油井の豊年踊り、与論島の十五夜踊りなどすべて紙製の面を使っている。奄美群島の紙製の面は、毎年補修の手を加えることも、容易に作り直しを行うことも可能である点で、時代を超えて明らかに古いという仮面は存在していない。)
○第三点に、披露される演目には、出端・入端という入退場の所作とハヤシが伴うことである。(現在の演目は計11演目を数えるが、元は20種目あったと伝わる。諸鈍シバヤの評価としては、日本の芸能研究をすすめてきた本田安次氏は、「これは芝居といっても、実はいわゆる芝居ではなく、歌舞伎初期の踊り―まだ踊尽しであった頃の形のもの―が、諸鈍風に定着したものといってよいであろう。すなわち、これは風流小歌踊を次々に演ずるのであるが、その間あいだに即興的な狂言を加えている。そのひとつひとつが室町末から慶長初めにかけての小歌踊の古風を見るように思われて興味が深い」と述べておられる。)
土地に伝わる諸鈍シバヤの由来として、平資盛との関りで伝わったということがいくつかの文献に留められており、昭和40年代村田煕氏が現地で聞取調査した際に得られた由来として、「諸鈍に来た平資盛は土民を鎮撫するため、ここで、いろいろな踊りや芸能をやり、土民を招待して交友をひろめ、資盛の死後も土民たちは霊前で、かずかずの芸能を行って、その霊をなぐさめたという。そして、これが諸鈍シバヤの起源だと土地の人はかたく信じている」という。
戦前の古老は、諸鈍シバヤのことを「ナグサン」といっていたそうである。これは「ナグサミ(慰め)」の意味で、闘牛や舟こぎなど娯楽行事をさす島の言葉である。これは諸鈍シバヤが日常生活に憩いを与えつづけていたことをさした呼びかただといえるだろう。
昭和41年9月5日 瀬戸内町指定無形文化財に指定される。
昭和44年3月31日 鹿児島県指定無形民俗文化財に指定される。
昭和46年4月21日 文化財保護法第56条の9の規定に基づく記録作成の措置を講ずべき無形文化財として選択される。
昭和51年4月4日 文化財保護法第56条の10、第1項の規定に基づき、国の重要無形民俗文化財として指定される。