「八坂神社 十二冠女の由緒・歴史」
八坂神社 宮司 長井 信篤
由 緒
坊津の八坂神社は、南さつま市坊津町坊の岩井崎(鶴ケ崎)の巌頭に鎮座し、ご祭神は素盞鳴命、稲田姫、八王子の十柱である。勧請の年月は明らかでないが、天正の頃(一五七三~九二)、鳥原喜右衛門宗安が社役であったと言われ、その子孫が代々社掌を務めてきた。
例 祭
例祭は、もともと旧暦九月十五日、大正十三年からは新暦十月十五日に行われていた御神興行列を伴う秋祭りで、祭礼全体を祇園祭(平成三十年から「坊ほぜどん」)と称している。この日が平日の時は小・中学校は午後から休みにして地区を挙げて祭りを行っていたが、昭和五九年から祭りに参加する氏子の方々のことを考慮して、十月第三土・日曜日に行われるようになった。神事は、十月第三土曜日午後七時から内祭り(前夜祭)が始まり、御神幸行列がある(この行列に十二冠女はない)。御旅所(遷座先)は、昔は毎年交代で地元の船主の家などであったが、明治四二年に上之坊、鳥越、中坊の三集落にあった神社を八坂神社に合祀した経緯により、現在は毎年交代で三集落の公民館になっている。御旅所に到着すると神事・直会があり、夜を徹して御神体をお守りしている。
本祭りは、翌十月第三日曜日午後一時から御旅所での神事が始まり、御還幸行列が行われる。その行列は、「大鉾-神籬-大旗-神具-垂-十二冠女-賽銭箱-太鼓・笛・すり金-神官-旗―神輿-お供」の順で出発し、猿田彦面の赤面・黒面と獅子面を付けた若者たちが沿道の整理に当たる。この行列は、全体に京風の雅な風情が感じられ、殊に「十二冠女」はこの祭りの圧巻である。
十二冠女
「十二冠女」とは、十二歳になる十二人の振袖を着た乙女達が、頭上に四本の御幣の付いたお賽銭箱を載せてしずしずと歩を運んでいくもので、誠に優美華麗である。伝承や先達の研究によると、十二冠女の由来は不明で、御神興行列が十二冠女を特徴とする現在の形態になったのは近代になってからと考えられている。昔は着物を準備することも大変で簡単には十二冠女には参加できなかった。また戦後は参加希望者が増え、なかなか参加できなかったが、最近は少子化のため参加者が激減し坊地区以外の人にも参加を依頼している状況になっている。
坊地区は過疎化・少子高齢化が激しいため、現在の形態の祭り行列を継続していくことが年々困難になってきている。しかし、八坂神社総代会・坊ほぜどん実行委員会が中心となり、実行委員会を毎年七月から毎月開催して御神興行列で使用する大鉾、祭矛、大籏、祭具などの準備や保存、それらの持ち手の確保・配置の手配や寄付金集めなどを行い、坊ほぜどんは坊地区最大の祭りとしてその伝統を継承している。