鹿児島の夏祭り・八坂神社の「おぎおんさぁ(祇園祭)」
おぎおんさぁ(祇園祭)
- 鹿児島の夏を彩る「おぎおんさぁ」は、鹿児島市内最大の夏祭りで、悪疫退散・商売繁昌を祈願するお祭りです。
見どころは、なんと言ってもご神幸行列です。平安時代さながらに、天文館地区を約二キロに亘り、神輿・稚児籠・十二戴女・傘鉾建など総勢二千人の行列が古式ゆかしく練り歩きます。
おぎおんさぁのルーツ
「八坂」「祇園」は共に京都の地名で、その地に鎮座する神社であったので八坂神社、或いは祇園社と称しました。その祭を祇園祭と言います。鹿児島では、親しみをこめて「おぎおんさぁ」と呼ぶようになりました。
貞観十一年(896年)全国に悪疫が流行した時、鉾を建てて悪疫退散の祈祷が行われたのが始まりです。その後天禄元年(970年)から、毎年行われる様になりました。
鹿児島に伝わったのは、神社創始と同時だと思われます。江戸時代には、庶民文化の興隆と共に、より盛大なものとなり、商売繁昌も願う祭になりました。
おぎおんさぁと八坂神社
- その創始は詳らかではありませんが、永暦元年(1160年)以前に、京都の八坂神社を勧請した神社です。
その後、享保十三年(1728年)清水町に移転鎮座。昭和二十年の空襲により社殿を消失し、仮宮に鎮座。昭和四十八年平之町に鎮座地を遷しましたが、平成元年、元の清水町(祇園之洲)に戻り、本殿社殿を新たにしました。
御祭神は素盞鳴命(スサノヲノミコト)、御妃奇稲田姫命(クシナダヒメノミコト)のほか五男三女合わせて十柱の神です。
古くは祇園社と呼んでいましたが、明治になって八坂神社と称される様になりました。また、鹿児島五社の一つで、古来より幸福の神として根強く大衆の間に信仰され、それが現在もなお悪疫退散・商売繁昌の神さまとして崇敬されています。
「おぎおんさぁ」の意義は、素盞鳴命をお迎えして、怨霊を祓うことにありますが、現在は、素盞鳴命を祀ることによって無病息災・商売繁昌を祈ることを主眼としています。今なお多くの市民に親しまれ、県都鹿児島の夏を彩る風物詩となっています。
ご神幸行列
露祓を先頭に、大鉾、祇園傘、諸道具、十二戴女、稚児花籠、御所車などが祇園囃の管曲も賑々しく巡行し、それに大人神輿五基、女神輿四基、元気一杯の子供神輿十五基も加わります。
この行列の華を添えるのが傘鉾です。
その長さは、小さいもので四m、大きいものでは七mにもなり、根回り約二十七センチのカラ竹に漆を塗り総金箔の蒔絵を施したもので、それに紅白の長旗を四流さげ、頂きに鉢がしつらえてあります。
建て方は、腕をさしあげるもの、肩・顎・頭にのせるものなど五通りあり、日頃の練習の成果を披露します。
- また異彩を放つのは、十二戴女(かんめ)です。
これは、十二人の巫女が芋桶を頭に戴き、神幸にお供します。芋桶には商売繁昌・無病息災の御利益のある玉串が入っていて、 道行く人々に頒布して回ります。
これは、奇稲田姫命の勤勉さにあやかり神幸にお供するようになったのでありますが、また命が十二人分の仕事を一人でなさった御神徳を称え奉ったものとも言い伝えられています。
平成二十三年開催予定
- 宵祭 七月二十三日(土)
- 本祭 七月二十四日(日)
※八坂神社の詳細についてはこちらをご覧下さい。